ここがパンチライン!(本とか映画、ときどき新聞)

物語で大事なのはあらすじではない。キャラクターやストーリーテリングでもない。ただ、そこで語られている言葉とそのリアリティこそが重要なんだ!時代の価値観やその人生のリアリティを端緒端緒で表現する言葉たち。そんな言葉に今日も会いたい。

『無意識の構造(河合隼雄)』

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彼女は耳が聞こえないので、筆談をするわけだが、筆談をかわしながら、こちらはそこに書く質問などを声に出していいながら書いてゆく。そして、彼女はだんだんと筆談の中にひきこまれてきたと感じたとき、それに関連したことを紙に書かずに口頭で質問する。すると、不思議なことに彼女はそれに応答してくる。つまり、彼女は聞こえていることが判明するのである。

 

ユングは単語連想検査というのを用いることを思いついた

 

 

朝起きているうちに、なんとなくいらいらしてくるときがある。いくら考えても原因が解らないときもある。しかし、あとで反省してみると、新しく大臣になって騒がれている人の年齢が自分と同じであることを知った途端に、劣等感コンプレックスが刺激されて、自我存在が多少おびやかされていたことが判明するときもある。われわれがいらいらさせられるとき、われわれはなにかを見通せずにいるのだと考えてみると、ます間違いはない。自我の光のおよばないところで、なにかがうごめいているのである。

 

すべて創造的なものには、相反するものの統合がなんらかの形で認められる。両立しがたいと思われていたものが、ひとつに統合されることによって創造がなされる。

 

マリアは母であると同時に処女でもあるし

 

女性の場合も、母性に対して強い反発を感じる時期がある。そのような母性への反発が長くつづき、女性としても発達が遅滞する場合が考えられる。現代女性にとって、自分が女であることを受け容れることはなかなか困難である。

 ある二十代後半の女性は、ボーイフレンドと同棲したりはするのだが、結婚の意志はなかったし、子どもを産む気もなかった。母性を否定する女性は、しばしばエロスの力に圧倒される。彼女は結婚・出産を否定しつつ、次々と異なる男性と肉体関係をもつ。

 

いわば、人間は下界に向けてみせるべき自分の仮面を必要とするわけであり、それが、ユングの言うペルソナなのである。

 

 

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この図式に従って説明すると、西洋人は自我を中心として、それ自身ひとつのまとまった意識構造をもっている。これに対して、東洋人のほうは、それだけではまとまりを持っていないようでありながら、実はそれは無意識内にある中心(すなはち自己)へ志向した意識構造を持っていると考えられる。ここで、自己の存在を念頭におかないときは、東洋人の意識構造の中心のなさのみが問題となり、日本人の考えることは不可解であるとされたり、主体のなさや、無責任性が非難されたりする。

 

日本の文化が母性との結合を保存しつづけ、西洋人と比肩しうるような自我を確立してきていないことは、非常に特徴的である。といっても、このことは必ずしも否定的にのみ評価しているのではないことは、いままでの議論から解っていただけると思う.ユングの大半の努力は、西洋において確立された自我を、いかにして自己へと結ぶ付けるか、ということであったと言っても過言ではない。

 

実のところ、無意識の世界の無時間性という点に注目するならば、古いものの中に、まったく新しいものを発見することも可能であると思われる。

 

 

 

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『もものかんづめ(さくらももこ)』

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ちびまる子ちゃんの作者、さくらももこのエッセイのセンス。ワーディングの絶妙さ。視線のシニカルさやユニークな文章には定評がある。

 

 

「健康食品三昧」

ケーキ屋の試食品をばくばく食べている女がいる。それが正午の人であった。

 彼女は花柄のブラウスにパンタロン超センスの悪い60年代のいでたちで、汚いきんちゃくを持っていた。ケーキ屋の試食品を食べた後、私の方を見てニヤリと笑い、「健康食品には用はないよ」と言い放って立ち去った。

 

 

 

「明け方のつぶやき」

それのCMに出ている役者までをも信頼し、「あんたがそう言うのなら、あんたを見込んで買いましょう」と、財布のひものブカブカになる。アクアチェックをしていた頃の石坂浩二など、何度私に見込まれたであろう。 

 

私と父は機関銃のように笑った。バージンボイスを「うんこちんちん」に奪われた枕(=睡眠学習枕)は、少し震えているように見えた。

 

 

「メルヘン翁」

私は姉の期待をますます高める効果を狙い、「いい?ジイさんの死に顔は、それは面白いよ。口をパカッと開けちゃってさ、ムンクの叫びだよあれは。でもね、決して笑っちゃダメだよ、なんつったって死んだんだからね、どんなに可笑しくても笑っちゃダメ」としつこく忠告した。

  姉は恐る恐る祖父の部屋のドアを開け、祖父の顔をチラリと見るなり転がるようにして台所の隅でうずくまり、コオロギのように笑い始めた

 

”泣き女”とは、東アジアあたりのどこかの国で、葬式があると悲しみのムードを盛り上げるために、わざわざ泣きにやってくる女のことである。

 

霊柩車に棺が入れられると、「ジイさんも偉くなっちまったなア、やいやい」と父が呟いた。ちなみに「やいやい」という無意味なかけ声は、たいした発言でもないのに少し注目してほしい時に発する父独特のくだらない口ぐせである。

 

 

 

「無意味な合宿」

 私は”シイタケのみじん切りに、足や触覚があるはずはない”と思ったのだが、誰も何も言わずに食べているので”私だけムシがいると騒いで神経質な女だと思われたらイヤだからやめよう・・・”とつまらない見栄をはり、コクゾウムシをシイタケのみじん切りだと自分を騙しながら我武者羅に食べた。 

 

 

「宴会用の女」

この男をこの先”先輩”と呼び、慕わなければならないのかと思うと、労働意欲が蒸発していく気がしたが、一応「どうぞよろしくお願いします」とあいさつした。 

 

 

「意図のない話」

しかし、彼女の話が事実ならば、彼女の大腸内で五十センチもの便が、ブレスなしで保管されていたのは驚異である。

 

 

 

 「青山のカフェ」

私は涙を流し、どうやら別れ話になりそうな雲行きであった。外は霧雨が降っており、深刻なムードも最高潮の時、突然隣りのテーブルにいたサラリーマン四人連れの一人が、「それでは私、小便をして参ります」ときっぱり言って席を立ったのだ。

 私の涙は半分乾いた。

 

先ほどの小便男がまたも「私のパンツのシミでございますが、それは薄い黄色でございます」とキッパリ言うのが聞こえた。

ーー中略

今思えばあの時のあの男は、私達の人生の中で重要なポイントを占める役割を果たしているのである。 

 

 

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『僕らが毎日やっている最強の読み方(池上彰・佐藤優)』

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日本人の精神が内向きになっていることの裏返しの現象。

 

海外ニュースになったとたんにがくんと数字が下がる。

p56 

 

ゼロ戦は、海軍からの矛盾だらけの要望に応え、あらゆる性能を満たそうとした結果、一発弾が当たったら火だるまになるような飛行機になってしまった。高度なパイロットの技術が必要な、ものすごく人を選ぶ戦闘機だったようです。逆にアメリカはたいして能力がなくても誰でも使えるような戦闘機にするわけで、それは設計思想からして違います。それはじつは、日本企業にも言えることではないかと。

 p133

 

無料のニュースサイトのように記事が並列に並んでいるということは自分で記事の重要度を判断しなければならないということ。

p153

 

 

歩きスマホをしている東大生をひとりも見ない、と。

p178

 

土台となる基礎知識がないと、知識が積み上がっていかない。

p211

 

 

 

 

僕らが毎日やっている最強の読み方;新聞・雑誌・ネット・書籍から「知識と教養」を身につける70の極意 | 池上 彰, 佐藤 優 |本 | 通販 | Amazon

 

『ゲンロン0 観光客の哲学』

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上半身は思考の場所、下半身は欲望の場所である。 p121

 

観光客とはなにか。それはまずは、帝国の体制と国民国家の体制のあいだを往復し、私的な生の実感を私的なまま公的な政治につなげる存在の名称である。

 p155

 

「郵便」は、存在しえないものは端的に存在しないが、現実世界のさまざまな失敗の効果で存在しているように見えるし、またそのかぎりで存在するかのような効果を及ぼすという、現実的な観察を指す言葉である。

 p156

 

誤配すなわち配達の失敗や予期しないコミュニケーションの可能性を多く含む状態という意味で使われている。観光はまさにこの意味で「郵便的」である。ぼくたちは観光でさまざまな事物に出会う。なかには本国ではけっして出会わないはずの事物もある。たとえば美術にまったく興味がないひとも、フランスやイタリアに行けば美術館めぐりをしてみたりする

 p158

 

ひとがだれかと連帯しようとする。それはうまくいかない。あちこちでうまくいかない。

p159

 

 

 

家族は、自由意志ではそう簡単には入退出ができない集団であり、同時に強い「感情」に支えられる集団でもある。家族なるものには、合理的な判断を超えた強制力がある

p215

 

 

ドストエフスキーは、過程の崩壊を描写するために「偶然の家族」という言葉を使ったことがある。家族が家族として集まっている必然性のない家族という意味だが、しかしほんとうは、すべての家族が偶然の家族である。

p216 

 

 

 

ポストモダンとは「大きな物語」の喪失によって定義される時代である。それは精神分析の用語で言えば象徴界」の失調を意味している。

そしてここで重要なのは、さきほど紹介したジャンルSF史における「宇宙」や「未来」の地位低下は、まさに、時期的かつ内容的に、文学におけるポストモダン化の現れだと考えられることである。宇宙と未来の失墜、それは大きな物語の喪失にほかならない。

p251

 

彼は逆に、その痛さを忘却してしまうことは人間の誇りを失うことだと考えている。

「わたしはひとつつまらない質問を出してみようと思う。安っぽい幸福と高められた苦悩とでは、はたしてどちらがよいか、ということだ。さあ、どちらがいいか?」

ここには、動物的ユートピアを拒否する論理のひとつの雛形が提出されている。

p270

 

 

子として死ぬだけでなく、親としても生きろ。ひとことで言えば、これがぼくがこの第二部で言いたいことである。

p300

 

 

 

ゲンロン0 観光客の哲学 | 東 浩紀 |本 | 通販 | Amazon

『ファミリーレス(奥田亜希子)』

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朝井リョウだか誰だかが薦めていた若手作家ということで手に取った。

いろんな家族の形、六篇からなる。

物語の進行のために登場人物にわざわざ言われている台詞があったり、無理に小説(風の表現、あるいは文語的紋切りと言おうか)にしようとしている不自然さが気になった。

 

 

1.プレパラートの瞬き

 グチとか悪口を云わない奴は省かれるゾって実感が私たちにはある。その場の雰囲気に合わせてそこにいない人間の悪口を言わなかったり、それに参加しようとしなければ場では浮き、ときに場を白けさせる。ある種の同調圧力が存在する。

 誰かを悪く言うことにはそれに関わってもいいときと、関わりたくないときがある。悪く言われることになる相手との関係性があるからだ。人がひしめきあい集団で社会を営んでいる我々には、グチや悪口がなくなることはない。それらとの付き合い方を個々がどう決めているか、興味深いところだ。

 

俊二の言葉には質量があった。意味や気持ちがめいいっぱい詰まっていて、つまりは本物だと、そんなふうに思っていた。美味しそうに美味しいと言い、楽しそうに楽しいと言う。それは意外と難しいことだ。

 

 

グチが多く、口の悪いシェアメイトの友人に「私」が合わせられるとしたら、誰かを強烈に悪く言いたいとき、言って欲しいとき。

人を悪く言わないように教育を受けてきた希恵は、最も悪く言いたくない相手は家族に他ならない(はずだ)。


#妊娠というもののある種の不可抗力性

 

 

 

 

2.ウーパールーパーは笑わない

寝取られならぬ、妻と別れ子と話された男の冴えない日常話。

娘にちゃん付け、合う度に何か買ってあげるも娘に(あるいは元妻に言い聞かされて)お金の心配される始末、別れた後もたまに会う時間に遅れる、

 

僕が愚かであることは、僕が一番知っている。

 

 

 

3.さよならエバーグリーン

中学に上がって冴えない俺。小学校のときはよく喋った東伊織里ともなかなか話す機会がない。

#小学生のときのように、教室中を笑わせることはもうない。

目立つ奴らが伊織里にかまってる。僕は行動を起こせない。冴えない僕なんかにそんな権利はない。

こういうとき、キープレイヤーは家のなかにいる。何を言っているかわからないひいばあちゃんだ。

 

 

 

 

 

 

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『忍ぶ川(三浦哲郎)』

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60年、芥川賞受賞作。

二人の姉は自死、兄が失踪、下の兄は信頼されていたが家族親戚から金を借り後逐電、などつらい経験を持つ学生が料亭で働く自分にとっての100%の女性に思い詰め、心通わす。

 村上春樹作品(やたら人が死ぬという点でノルウェイ限定か)となぞらえる人もいるようだが、全然違う。一遍一遍が希望に溢れたすっげーいい終わり方するし。

 

 

志乃をつれて、深川へいった。識りあって、まだまもないころのことである。

 

 

錦糸堀から深川を経て、東京駅へかよう電車が、州崎の運河につきあたって直角に折れる曲がり角、深川東陽公園前で電車をおりると、志乃はあたりの空気を嗅ぐように、背のびして街をながめわたした。

 

 

私と志乃は、その年の春、山の手の国電の駅近くにある料亭<忍ぶ川>で識りあった。私は、忍ぶ川の近所にある学生寮から東京の西北にある市立大学に通う学生で、三月のある夜ふけ、寮の卒業生の送別会の流れにまじって、はじめて忍ぶ川へいったのである。

 

 

「せっかちでなければ、袖になしか。」

女はくすっとわらった。

「お人によります。」

「俺は、どうだ。」

 

 

 

志乃はふいに口をつぐんで、足もとを見ながらあるいた。

「本村さんは、どうしたの?」

「あたしを、ほしがりだしたんです。」

私はぼおっと頬がほてり、胸がはげしく動悸をうった。

「それで?やったのか。」

「やるもんですか。」

 

 

 

私たちの全身はたちまちのうちに汗ばんだ。その夜、志乃は精巧につくられた人形であった。そして、私は、初舞台をふんでわれを忘れた、未熟な人形遣いであった。 

 

 

 

 

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『百人一首がよくわかる(橋本治)』

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固ッ苦しくない解説で百首読ませる橋本治式。

日本人として、覚えておくべき○首を任意で抽出しました。

 

 

 

秋の田の かりほの庵の とまをあらみ

 わが衣手は 露にぬれつつ   天智天皇

(刈り入れ小屋は ぼろぼろで)

 

 

 

春すぎて 夏来にけらし 白妙の

 衣ほすてふ 天のかぐ山   持統天皇

 

 

 

あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の

 ながながし夜を ひとりかも寝む   柿本人麻呂

 

 

 

田子の浦に うち出でてみれば 白妙の

 富士の高嶺に 雪は降りつつ   山部赤人

 

 

 

奥山に もみぢ踏み分け 鳴く鹿の

 声聞くときぞ 秋はかなしき   猿丸大夫

 

 

 

天の原 ふりさけ見れば 春日なる

 三笠の山に 出でし月かも   安倍仲麻呂

 

 

 

わが庵は 都のたつみ 鹿ぞ住む

 世をうぢ山と 人は云うなり   喜撰法師

(たつみ=東南)

 

 

 

花の色は うつりにけりな いたづらに

 我が身世にふる ながめせしまに   小野小町

(ひとりでぼんやりしている間に)

 

 

 

これやこの 行くも帰るも 別れては

 知るも知らぬも 逢坂の関   蝉丸

(「これが?あそう」歌舞伎『勧進帳』では冒頭で唄われる)

 

 

 

ちはやぶる 神代もきかず 竜田川

 からくれないに 水くくるとは   在原業平朝臣

(こんなに真っ赤に水を染めるのか!?)

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月みれば 千々にものこそ 悲しけれ

 我が身ひとつの 秋にはあらねど   大江千里

(「悲しい」は胸に迫ってくる感情。いろんなことを感じさせられてしまう。おおえのちさと)

 

 

 

名にし負はば 逢坂山の さねかづら

 人に知られで くるよしもがな   三条右大臣

 

 

 

 

有明の つれなく見えし 別れより

 暁ばかり 憂きものはなし   壬生忠岑

(その夜一緒だった女がつれなかったからだ、なのか

 夜明けになると別れたままの女が思い出されてつらい なのか)

 

 

 

ひさかたの 光のどけき 春の日に

 しづ心なく 花の散るらむ   紀友則

 

 

 

 

 忍ぶれど 色に出にけり わが恋は

 ものや思うと 人の問うまで   平兼盛

(なにかあるの?と人がきくほど)

 

 

 

恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり

 人知れずこそ 思ひそめしか   壬生忠見

(恋してるらしいと、私の名前は囁かれるようになってしまった)

 

 

 

逢ひ見ての 後の心に くらぶれば

 昔はものを 思わざりけり   権中納言敦忠

(実際に やった後から 比べれば

 昔はなにも 知らなかったな!)いいなあ、この訳..

 

それか(ああ好きだ また遭いたい!)

 

 

 

遭うことの たえてしなくは なかなかに

 人をも身をも 恨みざらまし   中納言朝忠

(セックスがこの世になければ こんなにイライラしないだろうさ!)

 

 

 

もろともに あはれと思へ 山ざくら

 花よりほかに 知る人もなし   前大僧正行尊

(一緒にさ 感動しようよ 山桜

 花のほかには 誰もいないし)

 

 

 

瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の

 われても末に あはむとぞ思ふ   崇徳院

(流れ落ち 岩に砕ける 滝川さ

 別れはしても 最後はまた会う)

 

 

秋風に たなびく雲の 絶え間より

 もれ出づる月の 影のさやけさ  左京大夫顕輔

(秋風に たなびく雲の 切れ間から

 もれてる月の 光はくっきり)

 

 

 

ながらへば またこのごろや 偲ばれむ

 憂しと見し世ぞ 今は恋しき   藤原清輔朝臣

(生きていけば よく思えるのか 今のこと

 いやだと思った 昔も恋しい)

 

 

 

嘆けとて 月やはものを 思はする

 かこち顔なる わが涙かな   西行法師

(「泣けとでも云うのか月は」と思っちゃう

  文句の多い オレの涙さ)

※坊主は悩まないのか、「いやそうではないぞ」と西行登場

 

 

 

そろそろ会社行かな... 続く。

 

 

 

 

百人一首がよくわかる | 橋本 治 |本 | 通販 | Amazon

『すーちゃん(益田ミリ)』

 

女の子とのなんとなく思うこと、感じたこと、しちゃったこと。

を言葉にしている漫画(というよりエッセイ)だな。


こういうことを最近仲良くしているコピーライターの子とかと酒飲みながら話したい。

「一冊読み終えたあとなんとなく.表紙をながめます いい本だったな」とか...。

 

 

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不倫してるんだけど、当たり前に寂しくしていて傷ついていて、心がねじまがってる自分に感じつつなんとかしたいと思ってるまいちゃんとか

 

 

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女の世界では当たり前にしていること(男たちは実に無頓着で、こういうことに全く鈍感なこと、あるいは別にOSで考えているので導き出される対処が正反対であること)など

 

 

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つつましくもたしかに自分の足で生きている現代女性(的なリアリティとか)

 

 

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若い頃に自分がやられて嬉しかったことを自分が上になったといにやってあげるところとか

 

 

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世の中の男の小さく、つまらないところとか...

 

 

 

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日々の生活のなかの、ほんの一瞬のちょっとした後悔とか...

 

 

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『書く力 -私たちはこうして文章を磨いた-(池上彰・竹内政明)』

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確かに、読んでいて「あまり面白くないな」と感じてしまう文章は、ほとんどの場合、厳しい言い方のようですが、構成に工夫が足りないとか、表現力が足りないとかいう以前に作者自身が「自分はこれから何を書くか」をはっきりとわかっていない。だから工夫のしようもない、あるいは工夫の仕方がズレている状態におちいってる気がします。

 とにかく「書くべきこと」をはっきりさせる。

 

 

自分の小さな経験から入る。身の回りを描きながら、地球の裏側で行われたオリンピックという大きな話題につなげていく。

 

「わかりにくい文章を書いている人は、その物事についてよくわかっていない」と考えています。自分でも内容を十分に理解できていないから、文章が整理できない。

 

自分が本当に分かっていることを、自分の言葉で書くというのが基本です。

 

 

土地の中学生の一団と、これは避暑に来ているらしい都会の学生の一団とが擦れ違った。海辺は大方の涼み客も引揚げ、暗い海面からの波の音が急に高く耳についてくる頃であった。擦れ違った、とただそれだけの理由で、彼らは忽ち入り乱れて決闘を開始した。驚くべきこの敵意の繊細さ。浜明りの淡い証明の中でバンドが円を描き、帽子がとび、小石が降った。三つの影が倒れたが、また起き上がった。そして星屑のような何かひどく贅沢なものを一面に撒き散らし、一群の狼藉者どもは乱れた体型のまま松林の方へ駈けぬけて行った。すべては三分とかからなかった。青春無頼の演じた無意味に無益なる闘争の眩しさ。やがて海辺はまたもとの静けさにかえった。私は次第に深まりゆく悲哀の念に打たれながら、その夜ほど遠い青春への嫉妬を烈しく感じたことはなかった。 

井上靖「海辺」

 

 

「手垢のついた表現」と「ベタな表現」は違いますね。

甲子園球児が宿舎で夕食のトンカツを<ぺろりとたいらげた>式の「手垢のついた表現」には読み手との交感がない。そう書いておけばラクだから、という思考停止の産物でしょう。

 

 

「なになにの被害者を見るやにわかに劣情を催し、同女をその場に押し倒し、強いて姦淫したものである」

 

 

・「こだわる」という言葉の使い方。本来的な意味は固執してはいけないときに固執してしまうこと。

 

 

 

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『すべての男は消耗品である(村上龍)』

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誰かの批評本で、村上龍の著作で読むならこれ、みたいなスタンスで書いてあった。

「限りなく透明にちかいブルー」の発表前タイトルである「クリトリスにバターを」よろしく、このひとはコピーライティング的センスがあるようだ。

タイトルからして、ほとんど小説みたいにして、平成29年のいま読むべきものである。

 

男は、制度的に父親になるしかない。女が他の動物と同じように、生物学的に母親になれるのとは決定的な違いだ。

 

 

本当は、男は結婚を拒否したいのだ。どんなに好きないい女であっても、結婚をしないですむ方法はないかと考える。

 だけど、してしまう。

 なぜか?

 制度だからだ。制度をバカにしてはいけない。制度は強力だ。この世の中の、ほとんど百パーセントのことがらが、制度を支える装置としてある。

 制度に対抗するのは極めて難しい。男はきっと対抗できない。だが、制度というものは、あたりまえの話だが、嘘である、幻想である。人間が勝手に作ったものだ。必然性などはない。動物に制度は存在しない。動物に比べて人間は不完全だから制度を確立したのだ。

 

うんこを食べるために自分の女に一週間、フルーツだけを食わせるスカトロジストもいるそうだ。

 

 

兵隊は、男だ。最大の消耗品である兵隊は、男なのだ。銃後も悲惨だろう。とくに負け戦では空襲もあるし、大変だと思うが、男はもっと悲しいのだ。

 

 

制度には、意味はない。快楽を得ようと思えば、リスクを負って、制度の外へ立つしかないのだ。

 

 

 

オレがずっとロマンと呼んできたものは、 実は、自己確認のことだ。

自分が自分であることの確認だ。

三浦雅士風に言えばこうなる。

「自分を自分であると認めることは、まず自分を一人の他者であると見做し、その他者をさらに自分自身であると見做すことである(メランコリーの水脈)」

 

 

どんなに偉くなっても、みんな、男には、最下級の娼婦を買う可能性がある。そんな恐ろしく寂しい夜があるものだ。

 女にもあるのだろうか?

 オレにはわからないし、あまりわかりたくもない。

 

 

一人の女でずっと満足できたら、本当にどれほど楽かわからない。

だが、そうはいかの金玉なのだ。

 

 

オルガスムはあった方がいいが、なければ生きていけないというものではない。ところが、男のピュッピュッはそれがなくなれば間違いなく人類は滅ぶのである。

 

 

とにかくオレは人妻は誘惑しない。

 →本作で龍氏はこれを繰り返し仰られています。

 

 

ソフトな天皇

 

 

ストリップというのは女の裸を観に行くんじゃなくて、女が人前で恥を脱ぎすてていくその過程を眺めるのだ。

 

 

女なんてどうせみんな生理でしかものを考えられない動物なんだから、『いいかげんさ』が一番大切なんだ、

 

→平成29年のいま、当代の作家がこれを発言しようものなら、大炎上間違いなしのこのワーディング。しかし、小説の中であればできる!

 

 

君はスクエアだなあ。

 

 

 

恋愛関係にある男女が、ふと小さい頃も思い出話をする、何でもないようなことのようだが、ここに大切なことが含まれているのだ。

ーーそういう一見他愛もないことを、絶対に話せそうもない相手もいるのである。

 

あなたの恋人は、あなたに小さい頃のことを語っているだろうか。

そのことが親密度の基準になる。

 

 

 

彼女たちが反乱を起こし、新しい宗教が出現するまでは、オレのような遊び人が一時的に面倒を見るといううれしい状況が出来上がるわけである。

 

 

 

女子大生が処女を捨てにやってくる