『紋切り型社会(武田砂鉄)』
当たり前のように使われている言葉をほぐして考える。
そこで思考停止になってたのは自分自身だ、と気づかされる。
01「乙武君」
乙武君の“君”から拡げる、日本の”君”ブラックホール史。障害者
→24時間テレビのえげつなさ
(障害者に動いてもらうと数字が上がるんだよ)
→余命50年の花嫁
→薬害エイズ事件の川田さん
→高校野球のウグイス嬢の呼ぶ”君”。AVの筆下ろし的ニュアンス「君」付け
→土井たか子はさん付けで呼ぶ
→結婚会見でお互いのことを何と呼ぶか
筆下ろし的アナウンスの「君」付けは、ニキビの青臭さの証として高校球児を拘束していく
02 育ててくれてありがとう
両親への手紙くらい自分の言葉で書け
→ゼクシーの手紙テンプレ
→親は子を育てる(子は親に感謝する)という前提ありき設計
→1/2成人式の無神経さ
(九割ちかくの親が満足。いろんな家庭があるはず。個々でそれぞれに感じてることがあるはずが、一律に強制される)
「東京チカラめし」のネーミングセンスは他との差別化には成功していた。
ただたんに味が厳しかっただけじゃないか
04「 禿同。良記事。」というタームについて
ネットを逃れるには、グーグルが予測できない言葉を手に入れるべき
試しに「前田敦子 特定機密保護法」を検索してみると、藤原紀香が新聞赤旗に登場したとの情報が入っている。思ってもみなかった結果だ。
認め合いすぎてはいけない。認めます、という投てきを、時として避けなければならない。
05 若い人は、本当の貧しさを知らない
嫌中・嫌韓本の読者は曾野綾子読者層
「答えは簡単、貧しさを知らないから豊かさがわからないのです」
→説教臭新書が繰り返す過去の礼賛
→メモリーを強めすぎるあまり、あるファクトを「そんなことは無かった」などと言い始める
→ただただ自己都合で咀嚼する
あの頃の貧しさを起点に置いて、貧しくない今を嘆く優位性。
彼女が戦争期に生まれ、こちらは生まれてないという前提で全ての説法を引っ張ろうとする彼女の論旨は、ご一読の通り、ひらすら下品だ。
体を現在に預けてない人は今を語るべきではない。自分と異なる人と対峙しない言論など言論ではない。
彼女の言葉を借りるなら「戦災の後の焦土に立った人たち」からしか正論が放たれないのが、”老い”の才覚だとするならば、それはただただ、才覚の貧相な再生産に思える。
歴史が旧世代の安堵のためばかりに使われている。でも歴史は現在を見るために使われるべきものなのだ。
などなど。。。
07 あなたにとって、演じるとは?ー情熱大陸化する日本ー
取り急ぎの提案。
10 なるほど、わかりやすいです。 ー認め合う「ほぼ日」的言葉遣いー
心地よく過ごせてますかと読者への配慮をずっと怠らない「ホワイト対談」である
対立点があたかもなかったかのように整理しようとすることに耐えられない。
なぜって今は、対立点なんてなかったかのように整理し、
発想や思想や観点をシェアすることが対談や座談に求められているから
彼の視点と言葉の切り口はいみじくも本人が言うように“八割が皮肉、残りの二割が諦め”という姿勢から繰り出される。
自分に立ち返ったとき、この国で起きていることに対して皮肉や冷笑は禁じ得ないが、それでもいい部分に目を向けようとしている自覚はある。そういった甘い(中途半端な)姿勢は断ち切って、現実を見つめることに徹した人間の結露を見た感じがした。彼から得た対社会での自己考察のための視点は深く重い。
なお、本作、25回ドゥマゴ文学賞受賞作。
同い年というのだから、焦る。