『コンビニ人間(村田沙耶香/文学界6月号)』
村田沙耶香の小説は初めてだった。
芥川賞候補作品が発表される前に読んだので、同賞選考のスタンスでは読まなかった。
業界的には、いま一番取らせたい人なんだろうが、キャラクター造詣や世界観にいささかエンタメ感が滲む(例えるなら、読後感が”世にも奇妙な物語っぽい”みたいな。話の合間のタモリがチラつくのだ)という点で、今回の芥川賞受賞作ではないんではないかと思ってしまった。
とはいえ、さすがのクオリティだった。この人の小説が流行っているのはわかる(前作は知らんが、三島賞受賞作品は読んでみよ)。
コンビニというインフラに最適化した人間。それがゆえに”一般的な”社会には適合していない。彼女からあぶり出される仕事やリアリティにはコンビニや都市的なものに機能化してしまった人間の狂気やおかしみがある。
この種のエンタメ感とか読みやすさから、純文学的風情や作法までを心得ているとするならば、間違いなく小説というメディアの読者の裾野を広げる存在だし、今後の活躍への期待感も大きい。
「小鳥さんはね、お墓をつくって埋めてあげよう。ほら、皆も泣いてるよ。お友達が死んじゃって寂しいね。ね、かわいそうでしょ?」
「なんで?せっかく死んでるのに」
私の疑問に、母は絶句した。
皆が悲壮な様子で止めてと言っても収まらないので、黙ってもらおうと思って先生に走り寄ってスカートとパンツを勢いよく下ろした。若い女の先生は仰天して泣き出して、静かになった。
隣のクラスの先生が走ってきて、事情を聞かれ、大人の女の人が服を脱がされて静かになっているのをテレビの映画で見たことがある、と説明すると、やっぱり職員会議になった。
マンションや飲食店が立ち並んでいる場所から、店の方へ歩いていくにしたがって、オフィスビルしかなくなっていく。その、ゆっくりと世界が死んでいくような感覚が、心地いい。
「でも、変な人って思われると、変じゃないって自分のことを思っている人から、根掘り葉掘り聞かれるでしょう?その面倒を回避するには、言い訳があると便利だよ」
皆、変なものには土足で踏み入って、その原因を解明する権利があると思っている。
そのとき、私は、初めて、世界の部品になることができたのだった。(略)世界の正常な部品としての私が、この日、確かに誕生したのだった
コンビニで働いていると、そこで働いているということを見下されることが、よくある。興味深いので私は見下している人の顔を見るのが、、わりと好きだった。あ、人間だという感じがするのだ。
「この店ってほんと底辺のやつらばっかですよね、コンビニなんてどこでもそうですけど、旦那の収入だけじゃやっていけない主婦に、大した将来設計もないフリーター、大学生も、家庭教師みたいな割のいいバイトができない底辺大学生ばっかりだし、あとは出稼ぎの外国人、ほんと底辺ばっかりだ」
「なるほど」
まるで私みたいだ。人間っぽい言葉を発しているけれど、何も喋ってない。
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追記:
ある労働に特化することで可能になった、新種のプロレタリア文学。恵子が暮すのは労働疎外の先にある世界である。読者はときに哄笑し、ときに冷や汗をかきながら、景色が反転する感覚を味わうだろう。