『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年(村上春樹)』
どんな映画でも本でも、個人がパッケージにアクセスしやすい時代になった。
録画機に何本もの映画や映像を貯め、amazonで小説が1円で売りに出されている。
いつでも安く視られるというその意識環境は、文芸や映画の旬というものを失わせている。作られて間もない頃にその作品に触れることにメリットはある。作品が扱っているリアリティはその時代(時期)のものだし、社会がその作品世界にコミットしているときに人と語り合う機会にもなり得る。
映画も小説も作家の存命中にリアルタイムで読める有り難さに感謝し、なるべくなら発売されてすぐに読もうと決めた。
村上春樹作品はまさにそういう作品の一つだ。
こんな時代だからか(どんな時代だ)、昨今の氏の政治的な発言も見受けられる。
デタッチメントと個人から、社会とコミットメントへの移行。
その影響は間違いなく作品の中にもある。
村上作品にめずらしく、地方都市名古屋での思春期のグループ交際から描写されている。個人と個人の関係性ではない。個人と4人の関係、つまり少なくとも社会への所属がまず語られているのだ。
つくるが高校を卒業し東京に上京したある時期を境に、4人から拒絶される状態になる現実が物語のはじめの舞台立てとなる。そう、この作品では「いなくなる女たちではなく、いなくなる友人たち」になっているのだ。
灰田の父親の話、
「どんなに穏やかに整合的に見える人生にも、どこかで必ず大きな破綻の時期があるようです。狂うための期間、と言っていいかもしれません。人間にはきっとそういう節目みたいなものが必要なのでしょう」
温泉宿でのジャズピアニストとの会話。”死のトークン”の話
「そうか、君は論理というものを信じているんだな」と緑川は言った。
サラ「あなたは何かしらの問題を心に抱えている。だから四人の名前を私に教えて。」
4人はそれぞれ、レクサスのディーラー営業
クリエイティブビジネスセミナーの主催企業社長
フィンランド移住の陶芸家
死んだ美しい女性 である
ディーラー アオとの会話
「意味はまったくない。ただの造語だよ。ニューヨークの広告代理店がトヨタの依頼を受けてこしらえたんだ。いかにも高級そうで、意味ありげで、響きの良い言葉ということで。不思議な世の中だよな。一方でこつこつと鉄道駅を作る人間がいて、一方で高い金をとって見栄えの良い言葉をでっちあげる人間がいる」
「それは一般的に『商業の洗練化』と呼ばれている。時代の流れだ」とつくるは言った。
アカとの会話
「おれの父親は長く大学の教師をやっていて、そのせいで教師特有の癖が身にしみ込んでいた。家の中でも教え諭すような、上から見下ろすようなしゃべり方をした。おれは子供の頃から、それがいやでしょうがなかった。しかしあるときふと気がついたら、おれ自身がそういうしゃべり方をするようになっていた」
灰田はペニスから吐き出される精液を口の中で受けた。これは性夢か現実か。
僕の前からいなくなる男(灰田)たち。
エリとの会話、
ある種の夢はたぶん、本当の現実よりもずっとリアルで強固なものなのよ。
4人を訪れる(つなり「巡礼」と称されるが)のが、ただの謎解きではなく、ガールフレンドが彼を導いてくれる役を荷なっているという点で彼の作品にしては安心出来る展開かとは思ったが、迷いと選択は用意されていた。
ねえ、つくる、君は彼女を手に入れるべきだよ。どんな事情があろうと。
そのとき口にするべきだった言葉に思い当たったのは、成田行きの直行便に乗り込み、シートベルトを締めた後のことだった。正しい言葉はなぜかいつも遅れてあとからやってくる。
いずれにせよもし明日、沙羅がおれを選ばなかったなら、おれは本当に死んでしまうだろう、と彼は思う。
沙羅の返事を、待っている結末。