『ぼくらの民主主義なんだぜ(高橋源一郎)』
ふと手に取った新書が、そういえば朝日新聞紙面で個人的によく読んでいる「論壇時評」のまとめ新書。
マーケのセミナー中にずっと読んで読み終える。
この人は、右とか左とか関係なく、社会の変化や権力の横暴、国民の無自覚、いやおうもなく存在する人と社会の流れ、みたいなものに耳を澄ませてる。
そして、今この時代に生きる自分にとって、大切なものは何なのか。
同じ社会で生きる私たちが共有すべき大事なことは何なのか。を考える。
こういう人間は、小説家として、というより人間として、意義深い人生を送れるとおもう、そんな印象だ。
原子力発電が危険であるかだというより、そのコストが決して安くなく、未来のない産業だからだ。
奴隷貿易に無縁だった海賊の本質を「国家の敵・国民の友」と感銘に示している(B・アンダーソン)
人間は論理で世界全体を捉えられるほどには賢くない。論理こそが共同体を閉じるときがある。(東浩紀)
自由貿易と民主主義は長期的に両立しません(E・トッド)
この子は私が見ないと駄目だから・・・といって囲ってしまったんでは、社会も育っていかない
デモで社会は変わる、なぜなら、デモをすることで、『人がデモをする社会』に変わるからだ(柄谷行人)
内閣などをぜんぶ、女性に変えてしまう。子供を産むとか、育てるということを本気で考えてない男の社会(片山杜秀)
世界の大勢は、日本国内の議論は無意味である、としている
過去は常に現在からの審判に向かい合わねばならない
敵は自らの内にある
そこには「対話」がないことが問題なのだ
どんな制度でも悪用したり、甘える人はいるものです。だからといってその制度自体が悪いわけではありません。(高橋秀実)
読書は、人生のすべてが、決して単純ではないことを教えてくれました。私たちは複雑さに耐えて生きていかねばならないということ。人と人の関係においても、国と国の関係においても(美智子皇后)
深みのない凡庸な悪だからこそ、底なしに広がっていく可能性があると指摘している。彼らは特殊なのではない。私たちの社会の中に、彼らの考えに同調する素地があるのだ
だとしたらそこからもっと離れたわたしたちは、もっと謙虚になるべきではないだろうか
バルトによれば、無知とは知識の欠如ではなく、知識飽和されているせいで未知のものを受け入れることができなくなった状態を言う