『隅田川の花火が先か子が先か。』
8月30日は隅田川の花火大会だった。
うちの子はこの日に産まれた。昨日の話だ。
ここでは、出産にちなんだ妻と妻の周囲をとりまく発言をまとめてみた。
というのも、妻の出産は私にとって「感動的なもの」というよりは、ただただ「妻の面白さとタフさを再認識する出来事」だったからだ。
その日は朝から猛烈に気温が上がっていた。
花火大会当日の天気としては出来過ぎなくらいに、暑く、そして晴れた。
妻「これ花火、導火線に火ついちゃうんじゃない?」
昼間、タクシーに乗るまでのアスファルトの上でこう言い放った。
出産予定日は27日(水)だったのだが、医者からは事前に
「花火大会当日は交通規制があるので、産まないでくださいね」
とか冗談にもつかないことを言われていた。
実際この日は、予定日が近い(あるいは押している)妊産婦は交通規制のかかる時間だけ病院で待機を命じられていた。待機に訪れた妊産婦は8組。大きな会議室でテレビで花火でも見ながら待っているんだろう。
この待機計画を聞かされた妻は、
「せっかく来たんだから産んで帰りたいよね〜」
とか、やや観光気分?この頃、陣痛(らしきもの?)は10分間隔切ってます。
29日金曜の夜から、陣痛の疑いがある痛みを感じていたみたいだった。でもそれは便意にも紛うほど痛烈な痛みではない、これが陣痛か「分からない」と言っていた。
そんなわけで、僕は職場の派遣の子の送別会を錦糸町の焼き肉やで行っていた(タクシーで病院も自宅もワンメーターやし。そんな飲まんし)。妻からも理解は得ていた(2軒目で日本酒とサバサンド食べたことは黙っておこう)。
で、この日(土曜)は朝から定期的な鈍痛を感じながらも、ゆっくりと過ごしていた。
昼にはピザーラのハーフ&ハーフ(L判:プレミアムマルゲリータ×タルタルチキン)を半分以上たいらげた。さて、道が花火の客で混む前に病院に、と言って16時過ぎに病院に入り、そのまま待機組には参加することなく18:15には破水して分娩室に入った。
「いきむ」という最終フェーズに至るまで妻が終始口にしていたのは、
妻「便だよーこれー。便じゃないの?」
だった。男には一生分からないこの感じ。分かるような、分からないような。。。
面白かったのは、イキむときに目をつぶってはいけないんだという。
目をつぶると、顔面に集中してしまい、下半身に力が注力できなくなる。
人は便所で大きな方を力むときも目をつぶるより、下半身に目をやった方がイキめるんだそうな。体勢としても、背中を丸めると赤ちゃんがくるっと出やすい形になる。
お産自体は看護師に、
(説明をよく聞いて冗談さえ言う妻に)
「冷静だね〜」とか、
「ほんと理想的。うらやましいお産。」
とさえ言わせしめた。(個人差があります。鵜呑みにされないようにしてください。)
わが子を抱いた後も、父になったリアリティはなかった。
自分に子供が出来たという実感がまだ湧いてこなかったが、病院からの帰り道は浮き足だった。
駅前は浴衣の女性が多かった。そりゃそうだ、花火は3時間前に終ったばかりなのだ。
もう23時を過ぎていたので、吉野家に入ってビールと鰻皿(2人前)をオーダーし味わって食べた。イグザイルだかダンスグループ系サウンドがうるさかった。
友人からの話や、ドキュメンタリー映像などから、お産とは出て来る瞬間まで壮絶!
妊婦はほんと生きるか死ぬかの悶絶、激甚痛、無意識状態であると刷り込まれてきた。
しかし、妻は冷静だった。
「背中押してくれ」、「お茶くれ」、「このストロー空気吸っちゃって不快」、「団扇で扇いで」。実に実務的で、定期的な陣痛に耐える、周期的なイキミに励む。
ほんっとに、見直した。
いや、この子は、仕事もできるんだろうなー。
そんな機会でもあった。
追伸、妻の親しい友人の話。
妊娠後に夫の不倫が発覚し、離婚の調停を経て出産に臨んだ。
そこは厳しい産院で、配偶者以外は分娩室に代理でも入れない。
長引いたお産は20時間。ずっと一人だった。
そんで、イキむときのかけ声は、
「タカシ(旦那の名前)ふざけんなーっ!」
だったとか。
まあそうだな。そうなるわ。