ここがパンチライン!(本とか映画、ときどき新聞)

物語で大事なのはあらすじではない。キャラクターやストーリーテリングでもない。ただ、そこで語られている言葉とそのリアリティこそが重要なんだ!時代の価値観やその人生のリアリティを端緒端緒で表現する言葉たち。そんな言葉に今日も会いたい。

西野カナの「トリセツ」のMVがキモい。歌詞世界を映像化するプロセスでどう失敗するのか。

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晴れた日曜日の午前中にMTVを視ていて、ふと思った。

「いや、西野カナの『トリセツ』のMV、キモい。」

今更な感もあるけど(発表当初にも話題になったのかな?)。

 

このMVを目にして、ざらっとした何かが残った。
違和感?既視感?嫌悪感?
この気持ち悪さはなんなんだ!!?

 

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舞台の上に均等に配置され、坐らされた女の子たちは百貨店のショーウィンドウに並ぶ何らかの商品に見立てられているように受け取れる。

おしゃれをして着飾り、バッチリショーアップされた女の子たちが、一人一人立上がっては自分の特徴や性格らしき歌詞を読み上げる、それを観客席にいる彼氏達が品定めするかのように注視している、という構図だ。いや、物色か。「俺はこいつに決めた!」

 

「トリセツ」とは、「取り扱い説明書」のこと。

つまり、この歌は、私(彼女たち)の扱い方、私との付き合い方、コミュニケーション上の注意やポイントをあれこれ並べたてる構成になっている。

 

きっとそこには、世の女性(彼女)たちが、彼氏の前で自覚的に発揮しているテクニックやコミュニケーション上のリアリティが多分に存在しているんだと思う(そう、だってそれで食ってるんでしょこの歌手は)。

 

「私ってこういうところあるから分かって(多めにみて!)」「でも私だけでなくて女の子(※ときに一般化)ってこういうところあるの(知っておいて!)」。

 

今回も西野カナ女史はいつも通り彼女らしい恋愛価値に没入し、

「取り扱い説明書」や「扱い方」という切り口で彼女の歌詞世界を編んていったに過ぎない。

会いたくて震える 西野カナのことだ。

こういう見立ても、したきゃすればいい。

 

ただ単に、映像化したときのセンスが決定的になかったということだ。

ビジュアル化した人間のセンスの問題だと思う(まあ、何でもセンス問題にしてしまえば、それまでなんだけど。。。)。

 

「彼氏の前にいるときの女性のリアリティ」や「男女の心の交わし合い」みたいなものを映像として描きだす想像力や技術に圧倒的な不足があるんだと思う。

 

まあ、西野カナ女史のその歌詞やワーディングそのものにも突っ込みどころは多分にあるのだが。

 

ご使用の前にこの取り扱い説明書をよく読んで

ずっと正しく優しく扱ってね

一点物につき返品交換は受け付けません。

 

そして何と言ってもクロージングの

永久保障の私だから 

 

映像的なミスリードをさせるきっかけは、多い。

 

いざ映像化する段になったときにそれをどう描くか。

マスター映像が出来上がってきたときに、それをどう受け取るか(チェックするか)。

そこにこそ仕事への矜持というか、職業的センスが問われるんじゃないだろうか。

 

映像というものは受け取る人間にとっては分かりやすい。

余計な想像力はなるべく節約して、そのままに受け取られる余地が多い。

しかし、映像はそれがゆえにメッセージや伝えたい世界観や雰囲気をしっかり伝えてしまう。それはもう身もふたもないままに。

 

最近こういった映像化におけるトンマナチェックミスとかセンスレスで炎上してる報道が増えたような気がする。

映像のアウトプットって、その企画や実際の作業に入り込んだ人間以外の視点や感覚が欠けてしまいがちだ。部外者のチェックが過程で入りくい。

で、マスターが出来たら最後、修正が利くレベルなら直しもあり得るが、

基本的には、もう出来ちゃったし、作り直すのに時間もお金もかかるし。

 

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市町村とはいえ、地方自治体がこの辺のトンマナわかんないっつうのは、、つらいよなあ。

 

映像作るプロでもこんなザマだ。

素人がを何をかいわんや。 

 

ちなみに、件の「トリセツ」。

MTVのカラオケTOP100で、5位です!!(16年10月2日現在)

今日もどこかの歌広で、トリセツを歌う女子大生が。。。

 

 

 

似たようなことを感じた人たちは多い