「アイリッシュマン(2019年Netflix、監督:マーティンス・コセッシ)」
このキャストだ、視る方だけじゃなくって撮る方もコルレオーネファミリーを下敷きに想像力が連想する。ゴッドファーザーへのオマージュはいたるところに。
乾いた殺し(殺しは明るくあっけらかんと...これはNetflixの様式だな)。
娘たちの父への憎悪。
半分開かれたドア。
フランク(デ・ニーロ)の回想シーンから始まる。
老人ホームみたいなところで年老いたフランクが口を昔を思い出している。
哀愁や後悔めいたものはない。
70年代のアメリカンミュージックに乗せて、悪くない、軽快な語り口だ。
死体をウッドチッパーで庭に散らして捨てる。
殺しがキッチュで現代的(いい意味で遊んでる)
ケネディが撃たれたとき、皆でパフェ喰ってた。
生活の中の歴史的できごと。
国旗を半上げにするところを、全上げにした。
刑務所でフィッツに会った、トニー・プロ。
ジミーがペギーと踊るシーン。
「この結婚は、若いの場でもある」
「フランク、俺たちは手を尽くした」
✴︎出演者たちを若返らせる、ディエイジングという最新技術も使用される。
イタ飯屋のパントリー越しに、暗黙の諦めろ。
ドアを少し開けておいて。