ここがパンチライン!(本とか映画、時々 新聞)

いま、物語で大事なのはあらすじではない。そこで語られている言葉とリアリティだっ!!ということで、卑怯で弱い人間を愛したい。人間の野蛮さ、愚劣さから目を背けたりしたくない。おのれ自身の端緒(根っこ)が絶えず更新されてゆくそんな経験をする、そのための記録。大江健三郎と吉田修一と。三島と太宰と。村上春樹と中村文則、小島信夫と舞城王太郎。カズオイシグロにミシェル・ウェルベック。カーヴァーとチャンドラー、ブコウスキーにキューブリック。コッポラにデビット・フィンチャー。ウディ・アレンもケヴィンスペイシーも。談志だって

『コンプレックス文化論(武田砂鉄)』

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 砂鉄氏の切れ味するどい舌鋒はあまり発揮されず、個々のコンプレックスに関連づけられるタレント系エピソードもやや貧弱だ。

意外にも本人の関心とは、遠いところの企画だったのではないか。

 

働かざるもの食うべからず、との形容を好みのは曾野綾子だが、その手の話者が、働いていないものを社会不適合者と急いで定めて苦言を呈する姿勢がとにかく嫌いだ。「社会システムに迎合する者が正しい者なのだ」という前提を活性化させようとする表現者を信じたくない。

 

糾弾するつもりはない、でもみんなにそうだよなって思ってもらいたい

 

それこそ『情熱大陸』にこの手のジャンルの人間が出ると、「大きい何かではなく、最後には自分を信じる」という方向性でエンディングに急かされる。表現者になる、とはつまり、個でいるということ。課長代理に昇進して今夜はささやかだけどすき焼きよ、と食卓で喜びあう光景から遠ざかるということだ。

 

 

「僕は、僕の母の胎内にいるとき、お臍の穴から、僕の生まれる家の中を、覗いてみて、『こいつは、いけねえ』と、思った。頭の禿げかかった親爺と、それに相当した婆とが、薄暗くて、小汚く、恐ろしく小さい家の中に、坐っているのである」(直木三十五「貧乏一期、二期、三期 わが落魂の記」)

 

 

<<橋下徹>>

要するに背骨のない軟体動物のようなお調子言論なのだが、

 

<<篠原かをり>>

うちは父親が頑張っている感じで、弟は結構ポンコツなんです。

 

自分のアイデンティティの一番が「親が金持ち」になってしまう。 

 

「オレの父ちゃん三冠王だぞ!」と叫ぶ落合博満の息子・福しクン

 

 

『少女消失』というビデオを見て驚愕したと記している。地面に並べられたいくつもの制服にアルコールがぶっかけられ、1着づつ焼かれていく。

 

 

届かなかったのものへの想念がセーラー服として表出している

 

 

 ロシアのプーチン大統領は、ローマ法王との会談に50分遅れ、ワールドワイドな非難を浴びた。

 

 

 

 

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『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝(栗原康)』

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口ではわかったおいっておきながら、速攻でそれを破ってしまう。

 

糸島郡今宿村(現 福岡市西区)

▼上野高等女学校(現 上野学園)へ

▼新任の英語教師 辻潤

 

▼雑誌『青鞜』の、貞操論争、堕胎論争、廃娼論争。

 

遭いたい。行きたい。僕の、この燃えるような熱情を、あなたに浴びせかけたい。そしてまた、あなたの熱情の中にも溶けてみたい。僕はもう、本当に、あなたに占領されてしまったのだ。(伊藤野枝宛・一九一六年)

 

▼葉山の日蔭茶屋事件 神近市子

 

それなのに、これからというときに、こいつらは恋愛ごときで運動をこわしやがった。と他の社会主義社たちからの反感を買っていた大杉ら。

 

 

不倫上等、淫乱好し。

公序良俗の番犬どもめ。 

 

 

「前置きは省きます。私は一無政府主義社です。」という書き出しの、後藤新平宛の手紙。 

 

 

あなたは一国の為政者でも、私よりは弱い。 

 

▼大阪のアナキストたちの間で流行っていた借家人運動。家賃を払わずに居直る。

▼どこからともなく大杉がヤギを連れて来たので

▼野枝が本を読むときは、大杉が魔子を連れ出してヤギの背に乗せる

▼長女魔子、次女のエマ(妹の養子に)、三女もエマ、四女ルイズ、長男ネストル。

蒙昧野蛮の時代

 

 

私たちはまた、売淫という、もっと露骨に女の体が経済的物品であることの証拠になることを知っています。多くの上中流の知識あり教養ある婦人たちは、それを賎しみ憐れみしていますが、しかし多くの良人を持っている婦人たちとの差異は本当に五十歩百歩なのではありませんか。

中産階級の婦人たちにたいし、おまえらもおなじなんだ、男の性的奴隷じゃないか)

 

 

そして、そういうかけがえのない相手とであった自分の身体は、これまでの自分とはぜんぜんちがう。おなじ手足をしているかもしれないが、あきらかにその力が増している。まちがいない、生の拡充だ。セックスは、やさしさの肉体的表現である。 

 

愛しあって夢中になっているときには、お互いにできるだけ相手の越権を許して喜んでいます。けれども、次第にそれが許せなくなってきて、結婚生活が暗くなってきます。もしも大して暗くならないならば大抵の場合に、その一方のどっちかが自分の生活を失ってしまっているのですね。

 

お互いの正直な働きの連絡が、ある完全な働きになって現れてくるのです。 

 

大杉だったら、おなじことを「自由連合」という、ちょっとかたい言葉で説明するだろう。労働運動の全国組織みたいなものをつくりにしても、そこに支配関係をつくらせてはいけない、組合規模の大小をとわず、すべての組合の個性をいかした連絡組織をつくろうよと。

 

が、その恋に友情の実が結べば、恋は常に生き返ります。

 

 

 

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『ドキュメンタリーは嘘をつく(森達也)』

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言い換えれば報道は、とても危なっかしいバランスの上に立っている。

自らが中立で公正であるとの強い思い込みは、自らが正義の側に立つとの思い込みにあっさりと短絡する。

 

 

自らが正義であると思い込んだメディアは暴走する。

 

 

 

主張は明快だし、歯切れも良い。その気になれば作品全体をひとつのスローガンに置き換えるくらいに、曖昧さや複雑さはきれいさっぱり削ぎ落とされている。

 

ボウリング・フォー・コロンバイン』は稀に見る傑作だ。論文としては優れている。でも(くりかえすけれど)、一個のドキュメンタリー作品としては、凡庸だ。なぜならば、イズムや主張に従属しているからだ。

 

銃を手放す覚悟を雄弁に語るのなら、そこに付随するマイケル・ムーアの不安や葛藤を僕は知りたい。雄々しいスローガンだけでなく、吐息や逡巡も垣間みたい。なぜなら、そこにこそ、等身大の「意思」が現れているはずだから。

 

 

キャメラの持つ加害性を自覚して、観察者ではなく当事者として作品を発表し続けている。  

 

ドキュメンタリーというジャンルは徹頭徹尾、表現行為そのものなのだ。

 

ドキュメンタリーが描くのは、異物(キャメラ)が関与することによって変質したメタ状況なのだ。

 (テクノロジーの進化は、カメラと認識させない「現実の記録」も可能にするわな。つまり、状況としては「盗撮」にちかいわけだけれども)

 

 

9・11同時多発テロ直後、歓喜するパレスチナの人々の映像が世界中に配信された。

 

実はあの映像にはまだ続きがあってさ、キャメラが引いてゆくと、喜ぶ人たちの周りには多くの野次馬たちが集まっていて、不思議そうに撮影風景を眺めているんだよ。おまけに画面の端にはディレクターらしき姿も映ってた。 

 

被写体はキャメラの前で作り話を演じる。そして嘘が多くなればなるほど、作り話は艶を増す。

→つまり、必死に自分を演ずることだって日常的にしているはずだ。自分はこうありたい、こういう風に生きてきた(はずの)自分は、こんな選択をするはずだ。こんなことをするはずだ。 

 

最後に情緒に溺れた。

 

 

この「後ろめたさ」や「無駄な煩悶」というネガティブな要素が、実はとても重要なのだと僕は考える。

 

わかりやすさばかりが優先された情報のパッケージ化をマスメディアが一様に目指す状況だからこそ、曖昧な領域に焦点を当てるドキュメンタリーの補完作用は、今後ますます重要な意味を持つ。

 

華氏911』は、確かにメディアを補完している。でも僕に言わせれば、隙間を埋めながら、善悪の構図をひっくり返しているだけだ。二元論はそのままだ。だから構造を変えられない。作品というよりも政治的アクチュアリティなのだ。〜ドキュメンタリーが本来持つ豊穣さに、決定的に欠けている。

 

 

編集には必ず意図がある。 

 

関係性を描くことがドキュメンタリーなのだ。

 

 

「脳障害でも、こうして頑張る人を伝えたかった」とでも言うのだろうか。確かにそのジャンルはある。否定はしない。でもそれは、僕の定義ではドキュメンタリーじゃない。情報だ

 

 

撮るという作為に対して自覚がないままに、事実という皮相的なものに従属したからだ。

 

 

エゴを全面的に工程するしかない。 

 

 

大衆というのは、分かりやすさを求めている。認識を変えたくない。

 

 

 

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『罪と罰 下(ドストエフスキー 工藤精一郎訳)』

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わたしは神経質なものですが、あなたのピリっとわさびのきいた言葉にはすっかり笑わされてしまいましたよ。

 

 

まったく、科学ですからな、現代は・・・・

 

 

鋭い頭脳というものは、すばらしいものだと思います。それは、いわば、自然の装飾、生活の慰めです。

 

 

あなたは猜疑心のために、せっかく鋭い頭脳を持っていながら、ものを見る健康な目まで失ってしまわれたのですよ。

 

 

ピョートル・ペトローヴィチが

裁判官はあんた方ほど盲じゃないし、それに・・・酔ってもいない、こんな札つきの無神論者、煽動者、自由思想とやらにかぶれているやつらの言うことなんか、信用しませんな。こいつらは個人的なうらみでわたしを非難しているんだよ、ばかなものだから、自分でそれをちゃんと認めているじゃありませんが、・・・さあさあ、ごめんなさい!

 

すると不意に、奇妙な、思いがけぬ、ソーニャに対するはげしい嫌悪感が、彼の心をよぎった。彼は自分でもこの感情にはっとして、おどろいたように、不意に顔を上げて、じっと彼女を凝視した。すると彼の目は、自分に注がれている不安そうな、痛々しいまでに心をくだいている彼女の視線に出会った。そこには愛があった。彼の嫌悪はまぼろしのように消えてしまった。あれはそうではなかった。彼は感情を思いちがいしたのだった。あれはただ、あの瞬間が来たことを意味したに過ぎなかった。

 

 

彼はソーニャを見た、そして不意にその顔にリザヴェータの顔を見たような気がした。

 

 

ソーニャ、きみもわかるだろうけど、低い天井と狭い部屋は魂と頭脳を圧迫するものだよ。

 

 

ポルフィーリイ・ペトローヴィチ

わたしがあなたに対してどんなオーソリティがあります? 

 

どうもあなたはあまりに尻っぽを出しすぎますよ、ロジオン・ロマーヌイチ。それからもう一つ、ペテルブルグには歩きながらひとり言を言う人間が、実に多いですね、ほんとですよ。

 

 

あなたがいまどんな問題に悩んでいるか、道徳の問題、かな?市民と人間の問題でしょう?でも、そんなものはわきへ押しやりなさい。いまのあなたにそんなものが何になります?

 

 

話せば長くなりますがね、アヴドーチャ・ロマーノヴナ。そこには、さあなんと言ったらいいかな、一つの理論ようなものがあるんですよ。例えば、大きな目的が善を目指していれば、一つくらいの悪行は許される、というような理屈ですよ、一つの悪と百の善行です!

 

 

 

(スヴィドリガイロフとドゥーニャの、部屋での応酬)

「〜それに、誰もあなたを信じませんよ。え、だって何か訳がなくて、娘さんが一人で男一人の部屋を訪れるはずがないじゃありませんか?だから、たとえ兄さんを犠牲にしても、この場合なんの証明にもなりません。暴行ってやつは判定がひどく難しいんですよ、アヴドーチャ・ロマーノブナ

 

 

ぼくがあのけがわらしい、害毒を流すしらみを殺したことか。殺したら四十の罪を赦されるような、貧乏人の生血を吸っていた、誰の役にも立たぬあの金貸しの婆あを殺したことか。これを罪というのか?おれはそんなこと考えちゃいない、それを償おうなんて思っちゃいない。どうしてみんな寄ってたかって、<罪だ、罪だ!>とおれを小突くんだ。

 

ラルコーリニコフには二つの道しかない。あるいはウラジーミルカ行きか、あるいは・・・それに彼女はラスコーリニコフが虚栄心が強く、傲慢で、自尊心が強く、そして神を信じていないことを知っていた。 

 

 

自分さえ信じられなくなる(自分の境遇と可能性)人間不信と宗教的不信心。

依って立つところのなさ。

 

エピローグでの希望。

そして、再生の物語は、また別の話。

 

 

 

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『罪と罰(ドストエフスキー 工藤精一郎訳)』

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ロージャの母:

でも、ことわっておきますけど、あの方はわたしが書いたよりもいくらかやわらかく言ったんですよ。それがわたしはその言い回しを忘れて、意味だけを覚えているものだから。

 

母からの手紙を読んで、ラスコーリニコフ

心臓がはげしく動悸し、考えがはげしく波打っていた。とうとう、この納戸か長持のような黄色っぽい穴ぐらにいるのが、息苦しく窮屈になった。視線と考えが広々としたところを求めた。彼は帽子をつかむと、部屋を出た。

ここは棺桶か!?

 

真相ははっきりしている。自分のために、自分の安楽のために、自分を死から救うためにさえ、自分を売りはしないが、他人のためなら現にこのように売るのだ!愛する者のために、尊敬する人間のために、売る!要するに、これが真相なのだ。兄のために、母のために、売る!

 

 

こんなかわいい娘でもどうして犠牲にせずにいられよう!おお、なんというやさしい、しかしまちがった心だろう!

→と、ドゥーニャ(ドゥーネチカ)の優しさを嘆く。

 

 

 もう一刻の猶予もならなかった。彼は斧をとり出すと、両手で振りかざし、辛うじて意識をたもちながら、ほとんど力も入れず機械的に、斧の背を老婆(アリョーナ・イワーノブナ)の頭に振り下ろした。そのとき力というものがまるでなかったようだったが、一度斧を振り下ろすと、急に彼の体内に力が生まれた。 

→俺は凡人か?天才か?の自問の向こうに、本当に殺ってしまった男。後からやってきたばばあの妹・リザヴェータも勢い余って殺す 。

 

 

ぼくは貧しい病身の学生です。貧乏にうちのめされている男です。 

ex.自分も生活苦しいのに葬儀費用を出してやるって、ラスコーリニコフみたいなことを。。

 

 

「ちがうわ、嘘じゃない!・・・」とドゥーネチカはすっかり冷静さを失って、叫んだ。「あのひとがわたしの人格を認めて、尊敬してくれる、という確信がなかったら、わたしは結婚しないわ。さいわいに、わたしはそれを確認できます、今日にもよ。このような結婚は、兄さんの言うような、いやしい行為じゃないわ!」 

 

ロージャの書いた論文ついて、ポルフィーリーにかく語りき:

人間は自然の法則によって二つの層に大別されるということです。つまり低い層(凡人)と、これは自分と同じような子供を生むことだけをしごとにしているいわば材料であり、それから本来の人間、つまり自分の環境の中で新しい言葉を発言する天分か才能をもっている人です。それをさらに細分すれば、・・・第一の層、つまり生殖材料は、一般的に言うと、保守的で、行儀がよく、言われるままに生活し、服従するのが好きな人々です。第二の層は、みな法律を犯しています、その能力から判断して、破壊者か、もしくはその傾向をもつ人々です。これらの人々の犯罪は、むろん相対的であり、千差万別です。彼らの大多数は、実にさまざまな形において、よりよきもののために現在あるものの破壊を要求しています。

 

ポルフィーリーは:

例えば、ある男なり青年なりが、自分はリキュルゴスかマホメットだなんて思いこんで・・・むろん、未来のですがね、ーーいきなりあらゆる障害を排除するなんていいだしたら、どうでしょう・・・

(「天才であるなら困難な状況を飛び越えてみせろ!」と、これは現代風な宗教網執型のテロリストだ) 

ポルフィーリー:予審判事。

 

 

「じゃ、実際に天才的な人々は」とむずかしい顔をして、ラズミーヒンが尋ねた。「つまり人を殺す権利をあたえられている連中だな、彼らは他人の血を流しても、ぜんぜん苦しんではならないというのかい?」

「ならない、どうしてそんな言葉を使うんだ?そこには許可もなければ禁止もないよ。犠牲をあわれに思ったら、苦悩したらいい・・」

 

 

「そこらの未来のナポレオンじゃないのかい、先週例のアリョーナ・イワーノヴナを斧でなぐり殺したのもさ?」ととつぜん隅のほうでザミョートフが言った。

 

→「選ばれた人間には法律なんてカンケーない」の論文は、当時のサンクトペテルブルグでもなかなかセンセーショナルに捉えられたようだ。

*ザミョートフ:警察署の事務官。ラズミーヒンの友人。

 

 

 

 

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『男はつらいよ 25 〜寅次郎 ハイビスカスの花〜』(1980年)

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リリーシリーズ。

博が、亀戸でリリーとバッタリ会って話す。

「それで、あの人どうしてる?寅さん。」
「私も旅暮らしよ。寅さんと同じ。」

 

おばちゃん・つね

「ちょっと私、御不浄行ってくる」 

 

お店休んで、水元公園行こうとしてたとらやご一行。

そんなところに帰ってきたとら。間が悪いとやら、なんとやら。

「これからみんなで水元公園行こうかって矢先に、厄介者がバカ面下げて帰ってきたってわけか

 

「 行くなって言ってんじゃねえだろっ!行きゃあいいだろ!」

って、寅が帰ってくるといつもこんな具合。 そんな折に、沖縄のリリーから頼りが。

「 私、いま病気なの。もいっぺん寅さんと会いたかった、それだけが心残りよ。」

 

沖縄?そこどこってんだ?

どこで汽車乗り換えりゃいーんだ?

 

よう!何かいい考えないか?

早く考えろよ! 

 

「乗らないっつうもんは乗らないんだから。。

乗らないっつーの!!」

 

 

 

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飛行機が怖くてしょうがないが、飛び乗って沖縄へ。

看病してやる。

 

あ、こりゃどうもご一統さん

 

「ばか野郎!堅気の衆が本気にするじゃねーかっ

 

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「ビール冷えてるかいっ?」

「うん。お風呂行っといで」

 リリーとの幸せな夫婦(みたいな)生活。

 

 

水族館で働く若い女の子と親してしてる寅に妬くリリー。

今日はどうしてんのかしら?あの男

 

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てめえたち、出来てやがんなこの野郎っ

 で、朝起きたら内地に戻るって書き置きしてたリリー。

 

 

ふたたび、とら屋で。。

「リリー、俺と所帯持つか?..」

「俺いまなんか言ったか?」

 

 

『男はつらいよ 23 〜跳んでる寅次郎〜』

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小学校で書いてきた、満男の作文。

寅屋の恥、っておじさんに言われた寅は北海道へ。

 

 

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 車で来た男に親切にされ、白昼車の中で襲われそうになってたお嬢さん(ひとみ=桃井かおり)に、「だから、言わんこっちゃない。見知らぬ男に気やすく声をかけちゃいけないよっ」てんで。

 

 

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 東京に戻り、結婚式から逃げ出しちゃった花嫁はウェディングドレスのまま柴又のとら屋に。「わたしね、逃げてきちゃったの結婚式

 

 

タコ社長はお見合い。

結婚式にお見合いで会ったのと違う女がやってきたので聞くと、

お見合いの写真は妹です」って

 

 

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あ、ひとみちゃん。窓開けて空眺めてごらん。お月様に笠かかってるよ

 

 

さくら「結婚し損なった二人が、改めて恋愛しなおすなんて..」

 

 

式で花嫁に逃げられた男が、親の会社を辞め、安アパートでカップラーメンすすってる。そんなところに逃げた花嫁の女がやってくる。

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「ねえ、キスして。。。。。うぐ...。ネギ食べちゃった。」

 

 

 

再び、とら屋の面々が中心になって、下町で開く結婚式。

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「私はいま、邦夫さんの幸せについて考えてます」

「自分ではなく、人の幸せについて考える。寅さんは、それを私に教えてくれた」

 

 

f:id:design_your_life:20170806114543j:plainわたし、寅さんのこと一生忘れない。