ここがパンチライン!(本とか映画、時々 新聞)

いま、物語で大事なのはあらすじではない。そこで語られている言葉とリアリティだっ!!ということで、卑怯で弱い人間を愛したい。人間の野蛮さ、愚劣さから目を背けたりしたくない。おのれ自身の端緒(根っこ)が絶えず更新されてゆくそんな経験をする、そのための記録。大江健三郎と吉田修一と。三島と太宰と。村上春樹と中村文則、小島信夫と舞城王太郎。カズオイシグロにミシェル・ウェルベック。カーヴァーとチャンドラー、ブコウスキーにキューブリック。コッポラにデビット・フィンチャー。ウディ・アレンもケヴィンスペイシーも。談志だって

『ベター・コール・ソウル』SEASON4

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ソウル誕生までの長いエピソードもも極まってきた感のある、SEASON4。

 

とりわけ、味があってイイ!言葉少なでも叙情的だなあといつも思わせるのは、

ロートルでプロの仕事人 マイク・エルマントラウトが関わるエピソード。

 

 

#10 『勝者』

 

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妻に会うために逃げ出した、ドイツ人技師を連れ戻したマイク。

ガスとのやりとりで、厳しい対処を選ばざるおえなくなった。

シーズン後半のクライマックスにもなり得る名シーン。

二人のやりとりも、渇いていて素晴らしい。

 

 

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一方で、弁護士資格を取り戻すため、あらゆる手を尽くしすジミー。

死んだ兄の手紙を持ち出して訴えるが、その芝居と策略に、それを手伝っている相棒キムも何をか思わんや。

 

 

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そうして、ソウル・グッドマン(すべてよし)が誕生する。

 

 

 

『シェイプ・オブ・ウォーター』

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お風呂でオナニー

 

背の低い男は必ず浮気する。

 

 

水槽の中の異形の彼と、音楽を流してデートする。

 

 

彼はありのままの私を見てる。

 

 

あなたの姿がなくても、気配を感じる。

 

 

 

人生は失敗の積み重ねに過ぎない。

 

 

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『状況は変わる(浜矩子)』

 

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10月4日付 朝日新聞夕刊

 

>「荒れ野で叫ぶ声でありたい」と、振る舞ってきた。

 

>「敵を決めつけてはいけない

 

>安倍政権がアベノミクスを打ち出して間もない2013年、「アホノミクス」と言い出した。

 

 

痛快。浜矩子、追いかけたいわ〜。

 

 

 

 

 

 

『等身大の日韓関係』『せめて議論の場は寛容に(佐伯啓思)』

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2018年10月5日付 朝日新聞

 

出水 薫さん(九州大学大学院教授)

「日韓関係がよくない」という言い方を耳いしますが、「日韓関係」とは、いったい何なのでしょうか。

 

首都からの始点がすべてであるように語らず、多様な見方で相対化する努力が必要です。

 

イ・ウンジさん(芸人)

国同士の関係を個人の関係に持ち込まず、国と自分をいったん話して考えた方がいいと思うのです。

チュートリアルの漫才を見て、日本で芸人をめざそうと思った韓国人女性。この子の漫才、一度聞いてみたいなあ。

 

 

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 ここには少なくとも三つの重要な論点が含まれていた。ひとつは、問題となった「生産性」である。

 日本では、構造改革以降、この20年以上、あらゆる物事を生産性や成果主義のタームで論じてきたのである。私はこのこと自体が問題だと思うから杉田氏の論旨には賛同しないが、しかし、政策判断の基準として生産性が適切なのか、どこまでこの概念を拡張できるのか、という論点はある。

 

 第二に、そもそも結婚や家族(家)とは何か、ということがある。法的な問題以前に、はたして結婚制度は必要なのか、結婚によって家族(家)を作る意味はどこにあるのか。こうした論点である。

 そして第三に、LGBTは「個人の嗜好」の問題なのか、それとも「社会的な制度や価値」の問題なのか、またそれをつなぐ論理はどうなるのか、ということだ。しかし、杉田氏への賛同も批判も、この種の基本的な問題へ向き合うことなく、差別か否かが独り歩きした。これでは、不毛な批判の応酬になるほかない。  

 

 そして、新潮社の雑誌の特質は、きれいごとではない、この人間の複雑な様相をいささかシニカルに描き出すところにあった。それがすべて崩れてしまった。

 

 私は、人間社会の深いところに「正義」の観念はあると思うが、それを振りかざすことは嫌悪する。それはたちまち不寛容になり、それでは議論も成り立たなくなる。

 

自分たちの主張を「正義」として、反対の立場を封印することは「コレクトネス」でも何でもない。

 

本当に大事なのは、議論の結論というより、その論じ方であろう。

 

だが 今日、社会から「寛容さ」が急激に失われている。それは論壇だけのことではないのだが、せめて紙媒体の議論の場だけでも「寛容さ」を保つ矜持がなければ、我が国の知的文化は本当に崩壊するだろう。

 

賢い人だわ〜(って京大の名誉教授捕まえてアレだけど..)。

いまだからこそ、こういう人の言うことに耳を傾けたい(そしてこういう人選とテーマを設定できる朝日新聞はほんとそれだけで価値がある)。

 

 

 

 

 

 

『万延元年のフットボール(大江健三郎)』

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1988年初版刊行。

繰り出されるイメージは大江健三郎作品のイメージそのものだ。

 

石の礫。不条理な事故や怪我。生まれた子に障害がある。

穴にうずくまる僕。異常に太り出した女(ジニ)。森に棲む隠遁社(ギー)。

顔を朱色に塗って縊死した友人..。

 

 

この夏の終わりに僕の友人は朱色の塗料で頭と顔をぬりつぶし、素裸で肛門に胡瓜をさしこみ、縊死したのである。

 

 

<なんでもいいから、陽気にしていようじゃないか!>

 

ーおれは自分の肉体がすっかりばらばらになり、すみずみまで、ぐにゃぐにゃになり、どんな感覚もないウィンナ・ソーセージのひとつながりのごときものになってしまった気持をあじわったよ。その反面、精神の方は肉体から完全に切りはなされて、はるかな高みを浮遊しているのさ。

 

死は不意に理解関係の縦糸を断つ。生き残った者には、絶対につたわらないところのものがある。

 

 

もう飲むな、人生はしらふでやってゆかなければだめだ 

 

僕は自分が肉体、精神ともに下降しており、下降の斜面はあきらかに死の匂いのより濃密な場所へとむかっていることを自覚している。

 

 

しかし数千羽の鶏にガソリンをかけて焼く無益な労働を通じて、そういう連中の柔らかなできそこないの頭のなかの、ものほしげな甘ったれ根性も、幾らかはタフな憎悪の酢に変わったと俺は信じたいよ。

 

 

「きみはスーパー・マーケットの天皇が、朝鮮人部落の出身だということを知っていたのか?」

 

 

「蜜、おれが谷間の青年グループを訓練するためにつくるフットボール・チームのために、五万円寄付してくれないか?」

 

 

鷹四もまたS兄さん同様、万延元年の事件に影響を受けて行動することを望んでいるようですよ。

 

 

僕は根所家の人間の性格のうちで、万延元年の事件から勇壮な暗示を受け取ることを拒む側のタイプの血をうけついでいるんです。

 

 

妻の返事ははっきり聞き取れなかったが、僕にはいまや妻があきらかに鷹四の親衛隊に属したことがわかった。 

 

 

裏庭に今度はただ夜明けにもぐりこむことだけが目的の穴ぼこを掘ろう。アメリカの市民が核戦争用のシェルターを所有しているように、僕は観照用の穴ぼこを一個所有するわけだ

 

 

 僕はたとえようもなく気が滅入ってくるのを感じた。現在のように外部から自分が自由に解放されているのを感じている時、純粋に自分自身の内部のみに関わって気が滅入ってくるのを感じ、しかもそれがますます昂進するとすれば、そうした自分が、再び夜明けの穴ぼこに臭く熱い犬を抱いて坐りこむ時、僕の指がどのような作業を開始するかはあきらかだ。あの朝、寝室に戻ってからいつまでも克服できなかった震えと痛みの思い出に、あらためて僕は埋めつくされた。新生活、草の家、それはこの谷間で僕を待ち受けているものではなかった。僕はあらためて孤立無援に、希望の兆候はいささかも見出さず、弟の帰国以前よりあきらかに深まった気の滅入る時間を経験しているのである。僕はこの経験の意味のすべてを知っている。

 

 

僕は自分と妻との間に癌のように発生している性的な行為の致命的な不可能さの感覚を憂鬱な気分で思い浮かべた。

 

 

「...結局それが引き起こした今日の混乱を見ていると、つくづく鷹には、組織的トラブルメイカーの才能があると思ったわ」

 

 

「私は鷹と一緒に残るわ、蜜。私が鷹の行動に惹きつけられるのは、生まれてから一度も私が法律に反することを経験したことがなかったからかもしれないの。自分の赤んぼうが獣の仔みたいなものになるのを、見棄てたままでいることまで、私はともかくそれを国家の法律にしたがってやったのだから」と妻はいった。

 

 

「あの若者にその兆しがあらわれた以上、万延元年の若者たちと自分たちとの同一化の指向は、すぐさまフットボール・チーム全員に伝播するだろう。おれはそれを谷間の人間全体に広めてやる。おれは百年前の先祖たちの一揆を谷間に呼び戻して、念仏踊りよりももっと現実的に再現したい。蜜、それは不可能じゃない!」

 

いったい、どういう有効性のために、きみはそういうことをしたいんだ、鷹?

「どういう有効性のために? はっは。蜜は、友だちが縊死した時、かれがどういう有効性のために死んだのかと考えたかい? また蜜は、自分がどんな有効性のために生き延びているのか、と考えてみることがあるのかい?谷間に新型式の一揆が達成されても、いかなる有効性もないかもしれない。しかしすくなくともおれは曾祖父さんの弟の精神の運動を、もっとも濃密に実感できるだろうじゃないか、それはおれが永い間熱望してきたことだ」

 

 

僕は戦後生まれの少年の理由のない朝鮮人敵視に嫌悪感を誘われた。

 

鷹が、菜採ちゃんとやるから、おれは向うで寝るのが厭だ

 

子どもの弟がつまらないムカデに自分の指を攻撃させる現場に僕が立ちあうよう、物欲しげな様子で懇請したと同様に、いま姦通の事実を当の情人の夫に大声で誇ろうとするのに対して、僕は冷淡であることを示そうとした。

 

「母屋に来てください。鷹が、谷間の女の子を強姦しようとして殺したから。フットボールチームのメムバーはみな、鷹を見棄てて家に帰ったし、明日になれば、谷間中の男たちが、鷹を捕まえにくるよ」

#女 #コミュニティの間でやりとりされる存在  #私刑

 

 

あの兄妹は一緒に寝ているというような噂をたてる、したたかな大人もいた。おれはそういう連中の家に、投石して報復した。しかしおれはその噂に逆に暗示を受けてしまってもいたんだ。

 

ふたりとも他の人間と結婚することはなしに、兄妹でこれをやりながら一生暮らすことができると教えたんだ。

 

おれと妹とが、将来も反社会的に結束して生きていく決心さえすれば 

 #白痴の妹 #禁忌 #救済を願う妹 #拒絶

 

 

僕は、無関心な他人について批評するたぐいの冷静な観察力を、夫の僕について発揮する妻の言葉に実際落胆しながら、おそらくそのとおりなのだと考えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『セッション』

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『WIPRUSH』違った。邦題『セッション』。たしか1回目は劇場で観た。

超スパルタ指導者に持ち上げられたり、突き落とされたり(その上下の運動に観客は眼が離せなくなる)。

 

 

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気になっていてデートに誘った子可愛い。しかしそのタイミングで誘うかー?みたいなズブさ...

 

 

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羨望と憧れの大きさの分、憎悪もすごい。依存/共依存ドメスティックバイオレンスや暴力に関わる拘束関係も、まさにこういう関係。クソッタレか!!

 

 

 

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 演奏メチャクチャにして胸糞悪いエンディングかと思ったら、そんなはずはない。カタルシスなエンディングが待っていた。

 

 

 

 たまに観たくなるタイプの映画だ。(それって最高の評価だな...)

 

 

 

 

『歴史と戦争(半藤一利)』

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 心にとどめ置きたい、学ぶことがほんとに多い、戦争をしっている先達の話。

こういう人と、お酒を飲みながら語る機会が得られると素晴らしいだろうな。

半藤一利の、いいとこ取り集。

 

明治維新などとかっこいい名前をあとからつけたけれど、あれはやっぱり暴力革命でしかありません。その革命運動の名残が、明治十年の西南戦争までつづいたというわけです。西郷隆盛ひきいる叛乱軍を、新政府軍が倒して西南戦争が終る。ここまでが幕末である、というのがわたくしの説です。(『歴史に「何を」学ぶのか』)

 

 

祖父母は、“官軍”などとは金輪際言わなかった。あくまで西軍でしかない

・・・この西軍の末裔が太平洋戦争をはじめて、国を滅びる寸前までしてしまったが、東軍の末裔が辛うじてこれを救ったのである。(『聯合艦隊司令長官山本五十六』) 

 

 

軍事史家の前原透氏が、実に微妙なところを調べあげ書いている。

 日露戦争後、参謀本部で戦史が編纂されることになったとき、高級指揮官の少なからぬものがあるまじき指摘をしたという。

日本兵は戦争において実はあまり精神力が強くない特性を持っている。しかし、このことを戦史に残す事は弊害がある。ゆえに戦史はきれい事のみをしるし、精神力の強かった面を強調し、その事を将来軍隊教育にあって強く要求することが肝要である」

 なんということか。日露戦争史には、こうして真実は記載されなかった。つまり戦争をなんとか勝利で終えたとき、日本人は不思議なくらいリアリズムを失ってしまったのである。(『ノモンハンの夏』)

 

 

日本帝国の創始者伊藤博文山県有朋であった。

 

民・軍にわたる官僚制度であり、統帥権の独立である、帷幄上奏権である、治安維持法である。なかんずく、「現人神思想」である。

 昭和の日本で敗戦に導いた指導者の多くは、山県の衣鉢をついだものたちであった。

 

その意味で『大日本帝国が山県が滅ぼした』といっても、かならずしも過言ではない。

 その山県が、秘密主義、官僚的、冷酷、権力的といった暗い性格ゆえに、人気がないからと、忘れ去られてしまっているのは、近代史を学ぶものとして、いささか不当、の印象をぬぐえないでいる。(『山県有朋』)

 

石橋湛山 たどりついた結論が「小日本主義」。いいかえればm当時の日本の多くが抱いている 「大日本主義」をあっさりと棄てよという、棄てたところで、日本になんらの不利をもたらさない。かえって大きな国家的利益となる、ということであったのである。

 

朝鮮・台湾・樺太満州というごとき、わずかばかりの土地を棄つることにより、広大なる支那の全土を我が友とし、進んで東洋の全体、否、世界の弱小国全体を我が道徳的支持者とすることは、いかばかりの利益であるか計り知れない。(『戦う石橋湛山』)

 

加藤高明内閣のときに、共産主義運動、無政府主義運動の弾圧を目的として施行されていた治安維持法の改正問題が浮かび上がる。とにかく選挙の結果は支配層に一段と強力な治安立法の必要性を痛感させた。 

 

 

「二十億の国費、充満の同胞うの血をあがなってロシアを駆逐した満州は、日本の生命線以外のなにものでもない」

 この数字は日露戦争で使った軍費、そして尊い犠牲者である。そうまでしてやっと手に入れた満州の権益は、まさしく昭和日本が守りぬくべき生命線ではないのか。『B面昭和史』

 →まさにサンクコストとして諦めきれない満州

 

満州国をもったがために

 満州国という巨大な“領土”をもったがために、分相応な巨大な軍隊を編成せねばならず、それを無理に保持したがゆえに狼的な軍事国家として、政治まで変質した。それが近代日本の悲劇的な歴史というものである。

 

 

朝日新聞』は自社の七十年史で書いています。

「昭和六年以前と以後の朝日新聞には木に竹をついだような矛盾を感じるであろうが、柳条溝の爆発で一挙に準戦時状態に入るとともに、新聞社はすべて沈黙を余儀なくされた」とお書きになっていますけれど、違いますね。

 沈黙を余儀なくされたのではなく、商売のために軍部と一緒になって走ったんですよ。

『保坂正康氏との対談で』 

 

 

1934年11月20日、静岡県草薙球場日米野球でばったばったと三振量産する沢村栄治。沢村は中国戦線に二度招集され、左手を負傷。帰国して徴用でびょう打ち工員、三度目の召集で台湾沖で戦死した。好きな野球に打ち込めるいまのプロ野球選手諸君よ、沢村の無念を忘るるなかれ。『昭和探索3』

 

 

四日間でこの年最大の二・二六事件は終った。いや、ほんとうは終わってはいなかったのである。事件が巻き起こした”叛乱“という恐怖をテコにして、政・財・官・言論界を脅迫しつつ、軍事国家への道を強引に軍は押しひらいていった。二・二六は死せず長く生き残ったといえる。『昭和探索3』

 

・・・窓から女の人が真っ白い首を長々とさしだして、光った金歯をみせてニヤリとした。「まだ早いよ。毛が生えてからおいで」

 泡を食って転ぶように逃げた源頼光と四天王、大通りの商店街に飛び出たら、目の前に下駄屋と瀬戸物屋が隣り合わせで並んでいた。その屋号が金玉屋と万古屋であった。『永井荷風の昭和』

 

石原莞爾 開戦戦直後に立命館大学で国防学の講義をして、その中でこう言ったんです。

「この戦争は負けますなあ。財布に千円しかないのに一万円の買い物をしようとしてるんだから、負けるに決まってる。アメリカは百万円を持ってて、一万円の買い物をしてる。そんなアメリカと日本が戦って勝てるわけありません」と。

 『昭和をどう生きたか』(丸谷才一氏との対談で)

 

 いざ開戦となった場合の戦争の見通しについて、十一月十五日、大本営政府連絡会議は充分に討議した。その結論はーーアメリカを全面的に屈服させることは、さすがの日本の「無敵」陸海軍も考えてはいない。

①初期作戦が成功し自給の途を確保し、長期戦に耐えることができたとき。

②敏速積極的な行動で重慶蒋介石が屈服したとき。

独ソ戦がドイツの勝利で終わったとき。

④ドイツのイギリス上陸が成功し、イギリスが和を請うたとき。

 そのときには、アメリカは戦意を失うであろう。栄光ある講話にもちこむ機会がある、というのが骨子である。

 しかし初期作戦不成功の場合、ドイツが崩壊した場合など、日本に不利なときについてはまったく考えられていなかった。

『ドキュメント 太平洋戦争への道』

 

 私の親父というのがへんな親父でね。向島運送業をやっていたのですが、大平洋戦争が始まったその日に、「この戦争は負けるぞ。おまえの人生も短かったなあ」て言うんです。まわりは必勝、必勝と騒いでいますから、「何を言ってるんだろう、このジジイ」と思いましたよ。 『腰抜け愛国談義』

 

 

 アジアの盟主たらんとする日本が、昭和十七年春、緒戦の連戦連勝の勢いのまま、フィリピンのレイテ島を占領した。統治すること一年余で、日本軍が成しとげたもの。

1.数本の田舎道を完成させた。

2.井戸を五つ掘った。

3.現地人用に水運びのための天びん棒を大量に作った。

4.証明用にロウソクを大量にこしらえた。

 キミ、笑うことなかれ。これが六十年余前の日本の実力のほどであった。とくに数本の田舎道の完成には涙ぐましくなる。鬱蒼たる密林を必死の想いで切り拓いて...

 このレイテ島を昭和十九年十月にアメリカ軍が奪還して、それからわずか十日間で成しとげたものたるや、アメリカの戦史にかくある。

1.数本のアスファルト道路を作った。

2.小規模な飛行場を完成させた。

3.水道設備をくまなく完整させた。

4.自家発電機を作った。

  いやはや、である。 『ぶらり日本史散策』

 

 

 多くの青年たちが運命に身をゆだねながら、なんとかして心の底から戦争を納得したいともがき、悩み、傷つき、うめき、そして死に急いでいった。 『原爆の落ちた日』

 

 

・・・戦争に勝利のないことが明らかになっても、乾坤一擲の決戦によって何とか大勝利を得て、少しでも有利な条件で講話にもちこみたい、

『昭和史探索6』 

 

 明らかに敗戦であるのに、「終戦」と呼び替えたことが、「負けた」という事実を認めようとしないまるいはそれを誤摩化そうとする指導者たちの詐術のごとくに、批判的に指摘されている。それはもうそのとおりである。しかし、当時、国民が敗戦を終戦と呼んだのは、単に「敗戦」という表現を嫌ったという理由からだけではないように思われる。そこには、一億総兵士、一億玉砕まで戦うという総動員体制がスウーと消え去ったという安堵感があり、この、とにかくこれ以上戦わなくていいのだ、戦争は終わったのだという安心した気持ちに「終戦」という言葉はぴったり、国民的な実感があったのである。そんな気がしてならないのであるが。 『十二月八日と八月十五日』

 

 

東条英機形式主義

 戦争中に、彼が総理大臣と陸軍大臣参謀総長を兼任したとき、部下が来て報告すると「それは統帥事項である、ちょっと待て」と言って、別室で参謀懸章を着けて聞いた。彼は参謀総長として聞くわけです。次に陸軍省の局長あたりが来ると、また「ちょっと待て」と言って参謀懸章を外す。今度は陸軍大臣として聞く。それを本気でやったんですね。『日本参謀論』

 

 

 大平洋戦争において陸海軍将兵は二百四十万が戦史した。このうち広義の餓死による死者は70%に及ぶのである。『墨子よみがえる』 

 

 地方の県庁所在地と思われるところはほとんど爆撃を受けています。なんのためにこんなところまで焼いたのかと抗議したいくらいの無差別攻撃で、約九十都市がやられ、戸数にすると二百三十六万戸..

『昭和史 戦後篇 1945−1989』 

 

 

 スポーツの練習とはくる日もくる日も同じことをやっています。くり返すことが、結局、いちばん大切なのです。スポーツの醍醐味とはくり返すことに倦きないこと。あるいは何でもそうかと思いますが、ものごとの上達とはそうしていることで、ある日突然にといってもいいほど開眼して、ボートを漕ぐことが楽しくなり、艇がエッと驚くほど速く滑るように走るようになります。

 『歴史に「何を」学ぶのか』