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ここがパンチライン!(本とか映画、そんでときどき新聞の)

いま、物語で大事なのはあらすじではない。そこで語られている言葉とリアリティだっ!!ということで、卑怯で弱い人間を愛したい。人間の野蛮さ、愚劣さから目を背けたりしたくない。おのれ自身の端緒(根っこ)が絶えず更新されてゆくそんな経験をする、そのための記録。大江健三郎と吉田修一と。三島と太宰と。村上春樹と中村文則、小島信夫と舞城王太郎。カズオイシグロにミシェル・ウェルベック。カーヴァーとチャンドラー、ブコウスキーにキューブリック。コッポラにデビット・フィンチャー。ウディ・アレンもケヴィンスペイシーも。談志だって

『ファミリーレス(奥田亜希子)』

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朝井リョウだか誰だかが薦めていた若手作家ということで手に取った。

いろんな家族の形、六篇からなる。

物語の進行のために登場人物にわざわざ言われている台詞があったり、無理に小説(風の表現、あるいは文語的紋切りと言おうか)にしようとしている不自然さが気になった。

 

 

1.プレパラートの瞬き

 グチとか悪口を云わない奴は省かれるゾって実感が私たちにはある。その場の雰囲気に合わせてそこにいない人間の悪口を言わなかったり、それに参加しようとしなければ場では浮き、ときに場を白けさせる。ある種の同調圧力が存在する。

 誰かを悪く言うことにはそれに関わってもいいときと、関わりたくないときがある。悪く言われることになる相手との関係性があるからだ。人がひしめきあい集団で社会を営んでいる我々には、グチや悪口がなくなることはない。それらとの付き合い方を個々がどう決めているか、興味深いところだ。

 

俊二の言葉には質量があった。意味や気持ちがめいいっぱい詰まっていて、つまりは本物だと、そんなふうに思っていた。美味しそうに美味しいと言い、楽しそうに楽しいと言う。それは意外と難しいことだ。

 

 

グチが多く、口の悪いシェアメイトの友人に「私」が合わせられるとしたら、誰かを強烈に悪く言いたいとき、言って欲しいとき。

人を悪く言わないように教育を受けてきた希恵は、最も悪く言いたくない相手は家族に他ならない(はずだ)。


#妊娠というもののある種の不可抗力性

 

 

 

 

2.ウーパールーパーは笑わない

寝取られならぬ、妻と別れ子と話された男の冴えない日常話。

娘にちゃん付け、合う度に何か買ってあげるも娘に(あるいは元妻に言い聞かされて)お金の心配される始末、別れた後もたまに会う時間に遅れる、

 

僕が愚かであることは、僕が一番知っている。

 

 

 

3.さよならエバーグリーン

中学に上がって冴えない俺。小学校のときはよく喋った東伊織里ともなかなか話す機会がない。

#小学生のときのように、教室中を笑わせることはもうない。

目立つ奴らが伊織里にかまってる。僕は行動を起こせない。冴えない僕なんかにそんな権利はない。

こういうとき、キープレイヤーは家のなかにいる。何を言っているかわからないひいばあちゃんだ。

 

 

 

 

 

 

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『忍ぶ川(三浦哲郎)』

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60年、芥川賞受賞作。

二人の姉は自死、兄が失踪、下の兄は信頼されていたが家族親戚から金を借り後逐電、などつらい経験を持つ学生が料亭で働く自分にとっての100%の女性に思い詰め、心通わす。

 村上春樹作品(やたら人が死ぬという点でノルウェイ限定か)となぞらえる人もいるようだが、全然違う。一遍一遍が希望に溢れたすっげーいい終わり方するし。

 

 

志乃をつれて、深川へいった。識りあって、まだまもないころのことである。

 

 

錦糸堀から深川を経て、東京駅へかよう電車が、州崎の運河につきあたって直角に折れる曲がり角、深川東陽公園前で電車をおりると、志乃はあたりの空気を嗅ぐように、背のびして街をながめわたした。

 

 

私と志乃は、その年の春、山の手の国電の駅近くにある料亭<忍ぶ川>で識りあった。私は、忍ぶ川の近所にある学生寮から東京の西北にある市立大学に通う学生で、三月のある夜ふけ、寮の卒業生の送別会の流れにまじって、はじめて忍ぶ川へいったのである。

 

 

「せっかちでなければ、袖になしか。」

女はくすっとわらった。

「お人によります。」

「俺は、どうだ。」

 

 

 

志乃はふいに口をつぐんで、足もとを見ながらあるいた。

「本村さんは、どうしたの?」

「あたしを、ほしがりだしたんです。」

私はぼおっと頬がほてり、胸がはげしく動悸をうった。

「それで?やったのか。」

「やるもんですか。」

 

 

 

私たちの全身はたちまちのうちに汗ばんだ。その夜、志乃は精巧につくられた人形であった。そして、私は、初舞台をふんでわれを忘れた、未熟な人形遣いであった。 

 

 

 

 

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『百人一首がよくわかる(橋本治)』

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固ッ苦しくない解説で百首読ませる橋本治式。

日本人として、覚えておくべき○首を任意で抽出しました。

 

 

 

秋の田の かりほの庵の とまをあらみ

 わが衣手は 露にぬれつつ   天智天皇

(刈り入れ小屋は ぼろぼろで)

 

 

 

春すぎて 夏来にけらし 白妙の

 衣ほすてふ 天のかぐ山   持統天皇

 

 

 

あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の

 ながながし夜を ひとりかも寝む   柿本人麻呂

 

 

 

田子の浦に うち出でてみれば 白妙の

 富士の高嶺に 雪は降りつつ   山部赤人

 

 

 

奥山に もみぢ踏み分け 鳴く鹿の

 声聞くときぞ 秋はかなしき   猿丸大夫

 

 

 

天の原 ふりさけ見れば 春日なる

 三笠の山に 出でし月かも   安倍仲麻呂

 

 

 

わが庵は 都のたつみ 鹿ぞ住む

 世をうぢ山と 人は云うなり   喜撰法師

(たつみ=東南)

 

 

 

花の色は うつりにけりな いたづらに

 我が身世にふる ながめせしまに   小野小町

(ひとりでぼんやりしている間に)

 

 

 

これやこの 行くも帰るも 別れては

 知るも知らぬも 逢坂の関   蝉丸

(「これが?あそう」歌舞伎『勧進帳』では冒頭で唄われる)

 

 

 

ちはやぶる 神代もきかず 竜田川

 からくれないに 水くくるとは   在原業平朝臣

(こんなに真っ赤に水を染めるのか!?)

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月みれば 千々にものこそ 悲しけれ

 我が身ひとつの 秋にはあらねど   大江千里

(「悲しい」は胸に迫ってくる感情。いろんなことを感じさせられてしまう。おおえのちさと)

 

 

 

名にし負はば 逢坂山の さねかづら

 人に知られで くるよしもがな   三条右大臣

 

 

 

 

有明の つれなく見えし 別れより

 暁ばかり 憂きものはなし   壬生忠岑

(その夜一緒だった女がつれなかったからだ、なのか

 夜明けになると別れたままの女が思い出されてつらい なのか)

 

 

 

ひさかたの 光のどけき 春の日に

 しづ心なく 花の散るらむ   紀友則

 

 

 

 

 忍ぶれど 色に出にけり わが恋は

 ものや思うと 人の問うまで   平兼盛

(なにかあるの?と人がきくほど)

 

 

 

恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり

 人知れずこそ 思ひそめしか   壬生忠見

(恋してるらしいと、私の名前は囁かれるようになってしまった)

 

 

 

逢ひ見ての 後の心に くらぶれば

 昔はものを 思わざりけり   権中納言敦忠

(実際に やった後から 比べれば

 昔はなにも 知らなかったな!)いいなあ、この訳..

 

それか(ああ好きだ また遭いたい!)

 

 

 

遭うことの たえてしなくは なかなかに

 人をも身をも 恨みざらまし   中納言朝忠

(セックスがこの世になければ こんなにイライラしないだろうさ!)

 

 

 

もろともに あはれと思へ 山ざくら

 花よりほかに 知る人もなし   前大僧正行尊

(一緒にさ 感動しようよ 山桜

 花のほかには 誰もいないし)

 

 

 

瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の

 われても末に あはむとぞ思ふ   崇徳院

(流れ落ち 岩に砕ける 滝川さ

 別れはしても 最後はまた会う)

 

 

秋風に たなびく雲の 絶え間より

 もれ出づる月の 影のさやけさ  左京大夫顕輔

(秋風に たなびく雲の 切れ間から

 もれてる月の 光はくっきり)

 

 

 

ながらへば またこのごろや 偲ばれむ

 憂しと見し世ぞ 今は恋しき   藤原清輔朝臣

(生きていけば よく思えるのか 今のこと

 いやだと思った 昔も恋しい)

 

 

 

嘆けとて 月やはものを 思はする

 かこち顔なる わが涙かな   西行法師

(「泣けとでも云うのか月は」と思っちゃう

  文句の多い オレの涙さ)

※坊主は悩まないのか、「いやそうではないぞ」と西行登場

 

 

 

そろそろ会社行かな... 続く。

 

 

 

 

百人一首がよくわかる | 橋本 治 |本 | 通販 | Amazon

『すーちゃん(益田ミリ)』

 

女の子とのなんとなく思うこと、感じたこと、しちゃったこと。

を言葉にしている漫画(というよりエッセイ)だな。


こういうことを最近仲良くしているコピーライターの子とかと酒飲みながら話したい。

「一冊読み終えたあとなんとなく.表紙をながめます いい本だったな」とか...。

 

 

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不倫してるんだけど、当たり前に寂しくしていて傷ついていて、心がねじまがってる自分に感じつつなんとかしたいと思ってるまいちゃんとか

 

 

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女の世界では当たり前にしていること(男たちは実に無頓着で、こういうことに全く鈍感なこと、あるいは別にOSで考えているので導き出される対処が正反対であること)など

 

 

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つつましくもたしかに自分の足で生きている現代女性(的なリアリティとか)

 

 

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若い頃に自分がやられて嬉しかったことを自分が上になったといにやってあげるところとか

 

 

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世の中の男の小さく、つまらないところとか...

 

 

 

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日々の生活のなかの、ほんの一瞬のちょっとした後悔とか...

 

 

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『書く力 -私たちはこうして文章を磨いた-(池上彰・竹内政明)』

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確かに、読んでいて「あまり面白くないな」と感じてしまう文章は、ほとんどの場合、厳しい言い方のようですが、構成に工夫が足りないとか、表現力が足りないとかいう以前に作者自身が「自分はこれから何を書くか」をはっきりとわかっていない。だから工夫のしようもない、あるいは工夫の仕方がズレている状態におちいってる気がします。

 とにかく「書くべきこと」をはっきりさせる。

 

 

自分の小さな経験から入る。身の回りを描きながら、地球の裏側で行われたオリンピックという大きな話題につなげていく。

 

「わかりにくい文章を書いている人は、その物事についてよくわかっていない」と考えています。自分でも内容を十分に理解できていないから、文章が整理できない。

 

自分が本当に分かっていることを、自分の言葉で書くというのが基本です。

 

 

土地の中学生の一団と、これは避暑に来ているらしい都会の学生の一団とが擦れ違った。海辺は大方の涼み客も引揚げ、暗い海面からの波の音が急に高く耳についてくる頃であった。擦れ違った、とただそれだけの理由で、彼らは忽ち入り乱れて決闘を開始した。驚くべきこの敵意の繊細さ。浜明りの淡い証明の中でバンドが円を描き、帽子がとび、小石が降った。三つの影が倒れたが、また起き上がった。そして星屑のような何かひどく贅沢なものを一面に撒き散らし、一群の狼藉者どもは乱れた体型のまま松林の方へ駈けぬけて行った。すべては三分とかからなかった。青春無頼の演じた無意味に無益なる闘争の眩しさ。やがて海辺はまたもとの静けさにかえった。私は次第に深まりゆく悲哀の念に打たれながら、その夜ほど遠い青春への嫉妬を烈しく感じたことはなかった。 

井上靖「海辺」

 

 

「手垢のついた表現」と「ベタな表現」は違いますね。

甲子園球児が宿舎で夕食のトンカツを<ぺろりとたいらげた>式の「手垢のついた表現」には読み手との交感がない。そう書いておけばラクだから、という思考停止の産物でしょう。

 

 

「なになにの被害者を見るやにわかに劣情を催し、同女をその場に押し倒し、強いて姦淫したものである」

 

 

・「こだわる」という言葉の使い方。本来的な意味は固執してはいけないときに固執してしまうこと。

 

 

 

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『すべての男は消耗品である(村上龍)』

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誰かの批評本で、村上龍の著作で読むならこれ、みたいなスタンスで書いてあった。

「限りなく透明にちかいブルー」の発表前タイトルである「クリトリスにバターを」よろしく、このひとはコピーライティング的センスがあるようだ。

タイトルからして、ほとんど小説みたいにして、平成29年のいま読むべきものである。

 

男は、制度的に父親になるしかない。女が他の動物と同じように、生物学的に母親になれるのとは決定的な違いだ。

 

 

本当は、男は結婚を拒否したいのだ。どんなに好きないい女であっても、結婚をしないですむ方法はないかと考える。

 だけど、してしまう。

 なぜか?

 制度だからだ。制度をバカにしてはいけない。制度は強力だ。この世の中の、ほとんど百パーセントのことがらが、制度を支える装置としてある。

 制度に対抗するのは極めて難しい。男はきっと対抗できない。だが、制度というものは、あたりまえの話だが、嘘である、幻想である。人間が勝手に作ったものだ。必然性などはない。動物に制度は存在しない。動物に比べて人間は不完全だから制度を確立したのだ。

 

うんこを食べるために自分の女に一週間、フルーツだけを食わせるスカトロジストもいるそうだ。

 

 

兵隊は、男だ。最大の消耗品である兵隊は、男なのだ。銃後も悲惨だろう。とくに負け戦では空襲もあるし、大変だと思うが、男はもっと悲しいのだ。

 

 

制度には、意味はない。快楽を得ようと思えば、リスクを負って、制度の外へ立つしかないのだ。

 

 

 

オレがずっとロマンと呼んできたものは、 実は、自己確認のことだ。

自分が自分であることの確認だ。

三浦雅士風に言えばこうなる。

「自分を自分であると認めることは、まず自分を一人の他者であると見做し、その他者をさらに自分自身であると見做すことである(メランコリーの水脈)」

 

 

どんなに偉くなっても、みんな、男には、最下級の娼婦を買う可能性がある。そんな恐ろしく寂しい夜があるものだ。

 女にもあるのだろうか?

 オレにはわからないし、あまりわかりたくもない。

 

 

一人の女でずっと満足できたら、本当にどれほど楽かわからない。

だが、そうはいかの金玉なのだ。

 

 

オルガスムはあった方がいいが、なければ生きていけないというものではない。ところが、男のピュッピュッはそれがなくなれば間違いなく人類は滅ぶのである。

 

 

とにかくオレは人妻は誘惑しない。

 →本作で龍氏はこれを繰り返し仰られています。

 

 

ソフトな天皇

 

 

ストリップというのは女の裸を観に行くんじゃなくて、女が人前で恥を脱ぎすてていくその過程を眺めるのだ。

 

 

女なんてどうせみんな生理でしかものを考えられない動物なんだから、『いいかげんさ』が一番大切なんだ、

 

→平成29年のいま、当代の作家がこれを発言しようものなら、大炎上間違いなしのこのワーディング。しかし、小説の中であればできる!

 

 

君はスクエアだなあ。

 

 

 

恋愛関係にある男女が、ふと小さい頃も思い出話をする、何でもないようなことのようだが、ここに大切なことが含まれているのだ。

ーーそういう一見他愛もないことを、絶対に話せそうもない相手もいるのである。

 

あなたの恋人は、あなたに小さい頃のことを語っているだろうか。

そのことが親密度の基準になる。

 

 

 

彼女たちが反乱を起こし、新しい宗教が出現するまでは、オレのような遊び人が一時的に面倒を見るといううれしい状況が出来上がるわけである。

 

 

 

女子大生が処女を捨てにやってくる

 

 

 

『この人の閾(保坂和志)』

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小田原での人との約束時間まで少し時間があったので、大学時代のサークルの友だちと久しぶりに会おうという話。その、きまぐれ感、なんとなくな設定はこの人の小説そのものだ。

 

「ふうん。

三沢君って、昔からけっこうヒューマニスト的なところがあったわよね」

ヒューマニスト的?ぼくは小さく笑っただけだったが、聞いた途端に悲しいような気持ちが起こった。記憶の中の真紀さんといまの真紀さんの違いを感じたのだ。サークルのあの部屋でしゃべっていた頃の真紀さんだったら"ヒューマニスト的"というような安直な言葉は使わないはずだった。

 

 

そういう何でもかんでも十把ひとからげにして雑に結論づけてしまうような週刊誌や新聞記事みたいな言葉を一番嫌っていた、というか敏感だったのが真紀さんで、ぼくは不用意な言葉をずいぶん指摘された。

(→こういうように相手にことを散々悪く、違和感を抱きながらもそういう人間と近接して生きるというのはどうだろうか。会う度に以前とは違う部分を発見しウンザリするんだけれどもそれでも交友関係を続けていく)

 

ぼくが「アル中って、病院に入ると必ず治せるんだけど、退院するとまた戻っちゃうんだって。三ヶ月で戻る人もいるし、三日で戻る人もいるし、十年たって戻る人もいるんだってさ」と言ったときも、真紀さんは「でも、三日で戻るのおと十年たって戻るのは全然意味が違うじゃないか」と言った。

「それは戻るの方にごまかされてるのよ。三日なのか三ヶ月なのか十年なのか、その長さに重点を置けばいいのよ

 

「うちのダンナなんか嬉々として働いちゃってるわ。毎晩終電でも全然平気。むしろ喜んでるみたい」

真紀さんの口調には嫌そうに言っているような感じがあったがぼくは黙っていた。ぼくは真紀さんに同調しないように気をつけた。嬉々として働くタイプはぼくも嫌いだが第三者が調子に乗ってそんなことを言うと怒りだすことだってある

 

 

「なんか言ってた?」

「こんなヤツだ部下にいなくてよかった』とか」

「わからなかったみたい」

ぼくは急に会社で一番嫌いなヤツの顔を思い出した。

 

 

 しかし嬉々として働いているタイプにはそういうくだらない計算はない。

 

ーーと、ぼくは前に何度か考えたことのあるこの考えを、このときもう一度考えた。

「ーーだからあたし、恋愛っていうものにあんまり免疫がなかったから、ダンナと結婚する前のつき合ってた期間は、ーー何て言うの?自分の感情の方に夢中で、あの人のことよくわからなかったのね」 

 

リベロ?小学生でリベロなんかいないだろ?」

いるもん。いますね。六年の高橋君はディフェンダーだけど攻撃参加するんですね」

 

 

「それにニーチェって、一瞬にしてわかるかそうじゃなかったら、ずっとわからないみたいな書き方でしょ?違うのよね。ヘーゲルとかハイデガーなんかの方がねちねちしてていい。 

 

「あたし、いまのあなたの話聞いてて『クジラが魚でないように、コウモリは鳥ではない』っていう構文思い出しちゃった」

 

 

ぼくは少し悲しいような気がした。真紀さんの口を借りて普遍的な母親がしゃべったような気がしたからだ。普遍的な母親というのはぼく自身の母親と言い換えてもいいのだろう。