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ここがパンチライン!(本とか映画、そんでときどき新聞の)

いま、物語で大事なのはあらすじではない。そこで語られている言葉とリアリティだっ!!ということで、卑怯で弱い人間を愛したい。人間の野蛮さ、愚劣さから目を背けたりしたくない。おのれ自身の端緒(根っこ)が絶えず更新されてゆくそんな経験をする、そのための記録。大江健三郎と吉田修一と。三島と太宰と。村上春樹と中村文則、小島信夫と舞城王太郎。カズオイシグロにミシェル・ウェルベック。カーヴァーとチャンドラー、ブコウスキーにキューブリック。コッポラにデビット・フィンチャー。ウディ・アレンもケヴィンスペイシーも。談志だって

『瀬戸際のリベラル ー浅羽通明氏(7月14日 朝日新聞)』

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浅羽通明、久しぶりに見た。

思い返せば、浅羽通明野の名にこんなにも既視感があるのは、小林よしのり のあのマンガがきっかけだ。このマンガについては近々論評する。

 

 

まず、民主党があの時期に党名を変えるなど言語道断です。合同相手の維新の党つまり内輪への気遣いを、民主党という慣れ親しんだ名前の方が混乱しないという有権者側の目線よりも優先した。

いや、浅羽氏はこう言うものの、野党第一党が党名を変えるのにはもっと切実で主観的(つまり誤解や余談をはらむ)な判断があったのではないか。つまり、慣れない与党にトラウマ的失政を胸に抱き、再び野党に転落した経験から過去の呪縛を解き放ち、気持ち新たに選挙に臨みたかった。そんな気持ちも分からないではないが、ここには重要なマーケティング的視点が抜け落ちている。それはブランディングに関わる理屈だ。重大な悪を働いたわけではない一営利組織が安易に党名など変えるべきではないのだ。政治家は徹底的にこの手の判断や決断が不得意である。)

 

「ダレノミクス?」なんてCM一つ見ても顕著でしょう。すべて「安倍」を前提にしないと何も打ち出せない「アベ依存症」です。ライバルだけ見ているから、国民=顧客が何を望んでいるのかがさらに見えなくなっていく。

 

 

与党を攻撃するにも、ただただ「違憲!」という葵の御紋を突きつけるワンパターンへはまっていった。楽ですが、思考停止です。憲法に頼ってばかりだと、経済や安全保障の現実的政策を生み出す能力が劣化してしまう。

 

 (いえこれほんとそう思います。キーキーとヒステリックな女みたいなもんで、嫌だダメだって騒いでるだけなの。そんでリーダーシップを任せると何も出来ない。また政権取っても同じことやりますよねこういう人たちは)

 

「どうすれば安倍に勝てる?」などという近視眼ではもう敗れている。少なくとも来るべき小泉進次郎政権をどう迎え撃つかくらいの長期的な展望がなくては。

 

 

先の参議院選民進党に入れた身としては、「消去法で民進党」ではなく、「積極的に民進党」と書かせるくらいの見どころが欲しいのだ。