『専横のカリスマ 渡邉恒雄(大下英治)』
・しかばね演説
東京に輪転機を六台入れる件では、務台社長は正力社主と刺し違える覚悟だった
・大野伴睦に対しては、「一人の人間として、あれほど完璧にいいやつはいなかったと思う」
・のちにデヴィスカルノ夫人となる女性、根本七保子。東日貿易の久保正雄がスカルノの第三夫人にしようとしていた。週刊誌ネタとしての取材アプローチを守る立場にいた渡邉。「きみがそんなことをしていたら、日本の外交に打撃を与えることになるぞ」と言う。
・弘文堂はアカデミズム出版の名門。駿河台の鉄筋ビル建替えの費用が払えず、方々に金の無心をしていたところ児玉が渡りをつけ、結果、株主には、政財界のフィクサーがぞろり(東京スタジアム、東日貿易、児玉誉士夫、中曽根康弘、渡邉恒雄)。
・日韓国交正常化報道は渡邉の独壇場
難しい話は全部渡邉に。ある通信社には「お前のところには教えない、共産党かもしれないから」
・大野が死に、愛人が分ける骨を願った。渡邉は、遺族がよそ見した瞬間に右手で骨を掴んで素早くポケットに入れた。その後でデパートに駆け込み、骨壺がなかったので宝石箱を買う。高級ハンカチにつつみ、宝石箱に包むと愛人はその大胆さに感謝し、涙を流したという。
・読売が反佐藤政権だったのは
党人派の大野の影響で、官僚派の佐藤にいい印象を持っていなかった。
「こんなばかばかしい憲法を持っている日本は、アメリカのめかけみたいなもんで自立する根拠がない(倉石忠雄農林大臣)」
「民間の会社が喧嘩を売るんなら、受けて立とうじゃないか」
佐藤総理は、いっそう声を大きくしていった。
「きみは、なんだ!土地の問題は、あんたのところの二階で、奥さんと同席しているところで約束したんだ。きみのいわんとするところはな、それを、ここで白紙に戻そうというのか!」
務台は、いくら相手が佐藤総理であろうと、「きみ」呼ばわりした。
〜〜
「務台さん、ぼくが悪かった。あなたとは、長いあいだの付き合いで、友人関係でいる。ほかの者だったら、こんなことじゃ言わない。あんたとの友人関係で、友達のつもりでいったんだ。気にするな」
「冗談いっちゃいけない。一度脅迫といっておいて、気にするな、ではすまん。よし、一歩、譲っていい、読売新聞の一面に謝罪広告を出してもらおう」
「務台さん、わたしとあなたの関係は、総理と読売新聞の関係ではない。あなたと友達だからこそいったんだ。勘弁してくれよ。いままでいったことは、すべて取り消す」
「では、読売にやる、といわれたことは、まちがいないんですね」
「まちがいない」
務台は、思い遂げればそれでよかった。
「それなら、わかりました」
務台も、詫びた。
「佐藤さん、あんたが友だちづきあいといったけど、おれもな、一国の総理に対して、非常に失礼なことをいった。おれも、あんたと友だちである、というつもりでった。暴言は、謝る」
「いや、おれも悪いんだ」
「ぼくは記憶力がよかったから、電話帳なんか持たないで、二〇〇くらいの電話番号はおぼえていたし、自動車の番号も,たいがいの政治家のは全部おぼえてた。そうすると夜、赤坂あたりをずっとまわれば、だれとだれの車とかわかるわけですよ」
・朝日新聞では、コラム素粒子が一番嫌い。非常に論理に飛躍があり、イデオロギーを悪く感情化して表現している。
・たとえ、その記事が渡邉を批判する記事であろうとも、内容についてクレームをつけることはなかった。取材拒否もしない。
・「無礼なことをいうな。分をわきまえないといかんよ。たかが選手が!」
新聞記者、マスコミはおそらく,その瞬間、にやりとしたことだろう。
「たかが選手だって、立派な選手もいるけどね」さらに「オーナーとね、対等に話をする協約上の根拠は一つもない」と真意を説明した。
これは、わざと挑発し失言や暴言を期待する「はめ取材」だった。
「氏家君とは同年同月生まれ、旧制東京高校、東大、読売と、18歳から66年の不離一体の親友だった。たまたま、読売新聞、NTVと両方のトップになったが、2人の友情がなかったら、こんな奇跡は起こらなかっただろう。学生時代、共に共産党に入ったが、私が除名されたとき、彼も脱党した。2人とも妻が元新劇女優だったこともあり、姉妹のような仲だった。だから家族と同じだった。政財界とも同じ人脈でつながった。唯一最高の友を失い、途方にくれている。全身の力が消失していく思いだ」
「朝日が頑張らなければ、困るのはむしろおれたちだ」
結論
筆者は渡邉を、「人間的愛すべき人間だ」と思っている(実際そう書いている)