『細雪(中)』
こいさん(末の妹 妙子)をメインにした巻ですね。
奥畑の啓坊の花柳界遊びの噂。妙子洋行の目論み。
大水で九死に一生。英雄板倉の妙子救出。
啓坊への不信と板倉への気持ち。
男の入院、脱疽、死。
と要点書き出すと、なんのことはないつまらなさですが。
船場の上流階級による、(というより谷崎本人の)隠せぬ特権意識とブルジョワ価値。
この青年が妙子の将来の夫たることを既に公然と認められているような口の利き方をするのに、軽い反感と滑稽とを覚えながら聞いていた。奥畑のつもりでは、自分がこのことをお願いに上ったと云えば、大いに幸子から同情もされ、打ち明けた相談もして貰えるものと思い込み、巧く行けば貞之助にも紹介して貰えるものと期待して、わざと今頃の時間を狙って来たのであるらしく、
尤も今から八九年前、始めて啓ちゃんを恋した頃には、自分はまだ思慮の足りない小娘であったから、実は啓ちゃんがこんな下らない人間であるとは知らなかった訳であるが、しかし恋愛と云うものは、相手の男が見込みがあるからとか、下らないからとか云うことのみで、成り立ったり破れたりするものではあるまい、
夏の間に思いきり葉を繁らした栴檀と青桐とが暑苦しそうな枝をひろげ、芝生が一面に濃い緑の毛氈を展べている景色は、彼女が先日東京へ立って行った当時と大した変わりはないのであるが、それでも幾分か日差しが弱くなり、 仄かながら爽涼の気が流れている中に、何処からか木犀の匂が漂うて来たりして、さすがにこの辺にも秋の忍び寄ったことが感じられる。
妙子は前に一度事件を起こしたことがあり、自分や雪子とはちょっと心臓の打ち方の違ったところがある妹なので、まあ、露骨に云えば、全幅的には信用していない点があった。
なぜと云って、板倉の英雄的行動には最初から目的があったのだ。あの狡猾な男が、何か偉大なる報酬を予想することなしにああ云う危険を冒す筈がない。
彼が埒を越えない限り、此方も知って知らん顔していたらよい
よく云えば近代的、と云えるところがったのであるが、その傾向が近頃妙な具合に変貌して、不作法な柄の悪い言語動作をちらつかせるようになった。人に肌を見せることは可なり平気で、女中達のいる所でも、帯ひろ裸の浴衣がけで扇風機にかかったり、湯から上がって長屋のおかみさんような恰好でいたりすることは珍しくない。
未来の妻のためにズボンを汚すことさえも厭う軽薄さを見せては、すっかり望みを失ったのであった。
こいさんはそう云うけれども、私達が話してみた具合では、つまらないことを偉がったり自慢したりする癖があって、非常に単純で、低級のように思われるし、趣味とか教養とか云う方面も、成っていないように感じられる。
彼と妙子とを正式に結婚させる分には、さきざきどんなに困るようなことがあるにしても、さしあたって世間の手前は悪くないが、妙子が板倉と自由結婚すると云うことになれば、これは明かに、社会的に嘲笑を招くであろう。
襖を開けると、雪子が縁側に立て膝をして、妙子に足の爪を剪って貰っていた。
「幸子は」
と云うと、
「中姉ちゃん桑山さんまで行かはりました。もう直ぐ帰らはりますやろ」
と、妙子が云う暇に、雪子はそっと足の甲を裾の中に入れて居ずまいを直した。
貞之助は、そこらに散らばっているキラキラ光る爪の屑を、妙子がスカートの膝をつきながら一つ一つ掌の中に拾い集めている有様をちらと見ただけで、又襖を締めたが、その一瞬間の、姉と妹の美しい情景が長く印象に残っていた。そして、この姉妹たちは、意見の相違は相違として、めったに仲違などはしないのだと云うことを、改めて教えられたような気がした。
(板倉の死に際して)
自分の肉親の妹が、氏も素性も分からぬ丁稚上がりの青年の妻になろうとしている事件が、こういう風な、予想もしなかった自然的方法で、自分に都合良く解決しそうになったころを思うと、正直のところ、有り難い、と云う気持ちが先に立つのを如何とも制しようがなかった。
『異論のススメ(朝日新聞 2017年2月3日付)』
佐伯啓思。ここ数年、この人の言ってることは一環している。
グローバリズムの速度を落とせ、保護主義もバランス良く取られい。そんなこと。
なにせ、先日のスイスでのダボス会議では、あろうことか、中国の習近平主席が、自由貿易とグローバリズムを守らねばならない、と演説したのである。つい噴き出してしまうが、それほど保護主義は分が悪い。
自由貿易とは、各国がそれぞれの得意分野に特化して貿易するという国際分業制である。すると両国でウィンウィンの関係を結べる、と。
仮に米国の土壌がジャガイモに適しており、日本の労働者が半導体の生産に適していたとしよう。すると、アメリカはもっぱらポテトチップスを生産し、日本はシリコンチップを生産し、両国が貿易すればよい。これでウィンウィンになる、というのである。
だが、もちろん米国は世界に冠たるポテトチップス大国では満足出来ない。そこでどうするか、政府が半導体産業を支援したり、〜つまり、自国の優位な産業を政府が作り出すのである。
かくて、グローバリズムのもとでは、自由貿易は決しておだやかな国際分業制などには落ち着かない。
『フラニーとズーイ』
村上春樹訳。
フラニー編がすごい好きだ。
世の中の、自分の回りの何もかもがクソばっかに思えて、気に入らないときってのは確かにある。
それは、彼氏や恋人であっても、当然その例外じゃない(何なら、恋人なんて分かり合えない存在の最たるモンだ)
ここのところわたしは頭がちょっぴりおかしくなっています。
「ああ、あなたに会えて嬉しい!」、タクシーが動き出したときにフラニーはそう言った。「会えなくてすっごく淋しかった」。その言葉を口にしたとたん、それがぜんぜん本心でないことがわかった。そしてこれも罪悪感からレーンの手を握り、指を温かくぴったり彼の指に絡めた。
それを目ざとく感知してしまったことに、罪の意識を覚えなくてはとフラニーは心を決めた。そしてその結果、それに続くレーンの長話を熱心に傾聴する(ふりをする)という罰を、自らに宣告した。
レーンの表情から、自分が場にそぐわない質問をしたことを彼女は悟った。更に具合の悪いことに、彼女は突然もうオリーブなんて食べたくなくなってしまった。どうしてそもそもそんなものをほしいなんて口にしたのか、自分でもよくわからない。
レーンは苛立ちを募らせながら、しばらく彼女の様子をうかがっていた。真剣にデートしている娘が注意散漫なそぶりを見せると、憤慨したり不安を感じたりするタイプの男であるらしい。
「知ったかぶりの連中や、うぬぼれの強いちっぽけなこきおろし屋に私はうんざりしていて、ほんとに悲鳴を上げる寸前なの」。
〜〜よくわからないけど。私が言いたいのは、何もかもがどうしようもなくくだらないってこと」
「この話はもうよしましょう」と彼女はほとんどどうでもよさそうに言った。そして吸い殻を灰皿に押しつけた。
「私はどうかしているのよ。これじゃ、この週末を台無しにしてしまいそう。私の座っている椅子の下に落とし戸があって、このままぱっと消えちゃったらいいかも」
彼はコートから目を逸らし、マティーニ・グラスを見つめた。得体の知れない不当なはかりごとに遭った人のように、憂慮の色を顔に浮かべて。
ひとつだけはっきりしていることがある。この週末はあまり面白くない始まり方をしてしまったということだ。
歯がおかしな感じになるの。がたがた震えちゃうの。一昨日なんて、グラスを噛んで割ってしまいそうになった。私は頭が完全にいかれちゃっていて、それに気づかないだけなのかしら」。
ズーイの章
夢も希望もない講座を抱えていたりはしなかったかもな、と自らに問うこともないではない。でもそんなのはたぶん世迷い言だ。職業的耽美主義者に足して、カードはあらかじめ不利に仕組まれているのだ(感心するくらいに実にぴったりと)。
シーモアがかつて僕にーよりによってマンハッタンを横断するバスの中だぜーこう言ったことがある。
すべてのまっとうな宗教的探求は差異を、目くらましのもたらす差異を忘却することへと通じていなくてはならないんだと。それはたとえば少年と少女の差異であり、動物と石との差異であり、昼と夜との差異であり、熱さと冷たさの差異だ。そのことが唐突に肉売り場のカウンターで僕の心をはしっと打ったんだ。
才知こそが僕の永遠の宿業、僕の木製の義足なのであり、それを人前でわざわざ指摘するのは、決して好ましい趣味とはいえないと言った。
「あんたは結局、言いたいことをぜんぶ言うじゃないか。僕がどう返事をしたところでー」
「僕はある夜、フラニーが外出の支度をしているあいだにそいつと二十分にわたって話をした。底なしに消耗な二十分だ。言わせてもらえば、あいつは巨大な空っぽだよ」
最初の二分間で誰かのことが気に入らなかったら、おまえはその相手を永遠に受けつけない」
「そんなに好き嫌いが激しいまま、この世界で生きていくことはできないよ」
「いずれにせよおまえの妹は、彼はすく頭が切れるって言ってるよ。レーンのことだけどね」
「そりゃ要するにセックスが絡んでいるからさ」とズーイは言った。
僕は誰かと昼食をとって、そこでまともな会話を交わすことすらできないんだ。すごく退屈しちゃうか、それとも偉そうに説教を垂れるかするものだから、少しでもまともな頭を持った相手なら、椅子を掴んで僕をぶん殴りたくなる」
「なんで結婚しないんだい?」
それまでとっていた姿勢を緩めると、ズーイはズボンのポケットから、折り畳まれた麻のハンカチを取り出し、さっと広げた。そして二度か三度、それで洟をかんだ。ハンカチをしまい、言った。「僕は列車に乗って旅行をするのがとても好きなんだ。結婚すると窓際の席に座れなくなってしまう」
「そんなの理由にもならないでしょうが!」
「申し分のない理由だよ。もう出て行ってくれよ、ベッシー。ここで僕に平和なひとときを送らせてくれ。気分転換にエレベーターにでも乗ってきたらどうだい?」
『細雪(上)』
谷崎である。細雪である。
この歳になって、日本の小説、否、近代文学の素晴らしさがよく分かるようになってきた。日常や生活に垣間みる、心情と風雅の機微(言語化)。
新しいものではなく、古くて今でも残っているものを繰り返し読むべきだ、そう思うようになってきた。
新しい小説に価値がないってわけじゃない。ただ、この世の中には読むものがあり過ぎるから、優先順位があってもいいって、そういうことだ。
大阪船場、蒔岡家の四人姉妹(鶴子、幸子、雪子、妙子)、昭和十年代の関西上流社会。
娘のいる上流家庭の体面。家族の中でもメッチャ気使う、行き遅れた真ん中の娘(雪子)問題。東京に本家が越して、雪子が神経衰弱に。。
ヴィタミンBの注射をするのが癖になってしまって、〜家族が互に、何でもないようなことにも直ぐ注射し合った。
要するに御大家であった昔の格式に囚われていて、その家名ふさわしい婚家先を望む結果、初めのうちは降る程あった縁談を、どれも足りないような気がして断り断りしたものだから、次第に堰けんが愛想をつかして話を持って行く者もなくなり、その間に家運が一層衰えて行くという状態になった。
まず身の丈からして、一番背の高いのが幸子、それから雪子、妙子と、順序よく少しづつ低くなっているのが、並んで路を歩く時など、それだけで一つの見ものなのであるが、衣装、持ち物、人柄、から云うと、一番日本趣味なのが雪子、一番西洋趣味なのが妙子で、幸子はちょうどその中間を占めていた。顔立ちなども一番円顔で目鼻立ちがはっきりしてい、体もそれに釣り合って堅太りの、かっちりした肉づきをしているのが妙子で、雪子はどの反対に一番細面の、なよなよとした痩形であったが、その両方の長所を取って一つにしたようなのが幸子であった。服装も、妙子は大概洋服を着、雪子はいつも和服を着たが、幸子は夏の間は主に洋服、その他は和服と云う風であった。そして似ているという点から云えば、幸子と妙子とは父親似なので、大体同じ型の、ぱっと明るい容貌の持ち主で、雪子だけが一人違っていたが、さう云う雪子も、見たところ淋しい顔立でいながら、不思議に着物などは花やかな友禅縮緬の、御殿女中式のものが似合って、東京風の渋い縞物などはまるきり似合わないたちであった。
さすがに優越感を抑えがたいところもあって、「あたしが一緒やったら雪子ちゃんの邪魔することになるねんて」と、夫の貞之助の前でだけは幾らか誇らしげに云ったり、
大概の大商店が株式組織になった今日では、「番頭さん」が「常務さん」に昇格して羽織前掛の代わりに背広を着、船場言葉の代りに標準語を操るようになったけれども
二人で並んで盃をする時に、花婿の風采があまり爺々して見えるのでは、雪子が可哀そうでもあるし、折角世話をした自分たちにしても、列席の親類達に対して鼻を高くすることが出来ない。
まだ小学二年生の少女でも、神経衰弱に罹らうことはるだろうか。
鬱みたいなことって、そりゃ昔もあったんだよな。。
『分断の行方(2017年1月21日付朝日新聞朝刊)』
水島治郎さん 千葉大学教授
既成政治かポピュリズムか、右か左かという2本の軸で分けると、「既成で左」がクリントン氏、「既成で右」がジェフ・ブッシュ氏ら共和党主流派、「ポピュリズムで左」がサンダース氏、「ポピュリズムで右」がトランプ氏を支持したとえいます。中南米は「ポピュリズムで右」が弱く、欧州では「ポピュリズムで左」が弱いが、米国は四つがそろっている。
トランプ氏の主張は右派に響く「移民たたき」に加え、ポピュリズム的な「既得権益層批判」も主張に加えることです。
福音派は米国民の4分の1ほどを占め、聖書に書かれていることをそのまま信じます。
移民の国の米国には、国の長い歴史や「共通する過去」がありません。代わりに、宗教的な価値をベースに「神の前では人は平等で、機会が等しく与えられ、努力すれば成功できる」という「共通の未来」をアメリカン・ドリームとして共有してきました。
共通の未来を託せる人物がいないことを理由に投票を棄権するのは、米国民としてのアイデンティティを自ら否定する行為です。
どうあっても選ぶしかない。ならばと、人工中絶否定といった「いいところ」を見つけてトランプ氏に迎合したのです。
「しんせかい(山下澄人)」
我々「勝手に芥川賞選考会」では、二番目に評価の低い作品だった。
「これが受賞したら抗議文送ろうぜ」とまで言っていた作品だ。
正直、驚いている。
今回の候補五作は前回と比べても意欲作が少なく、我々の基準には達しなかったため「該当作ナシ」だった。
小説としては面白い部分があるものもあったが、「芥川賞には、、ねえ。」ってなものばかりだった。
とはいえ、明治の御代、「二月・八月(ニッパチ)」という出版不漁シーズンに構えられ、そもそも出版業界振興のために設けられた同賞で、商業主義的でくだらねー大人な決定を下すなら、「カブールの園(宮内悠介)」とかじゃねえのくらいに思っていた。
甘かった。狙いはもっと俗だった。
この作家本人が来歴を隠していないように、富良野塾一期生だと。倉本聰門下なんだと。ズバリその舞台を借りて主人公の名前さえ「スミト」って自分の名前語って書かれた本作が受賞したんですって。翌日の朝刊には、ご丁寧に倉本聰のコメントまで添えられて。ハイハイ、良かったね。
芥川賞にゃ、別に恨みも義理もねーけど、せめて最も著名で権威がある新人文学賞の威厳っつうか矜持みたいなもんを見たかったなー。こっちだって選考してんだからよお(勝手にだけど)。
生意気言ってすいませんが、
端的に言って、文章が稚拙なのだ。
山間部の集団生活で垣間みる人間的省察、洞察みたいなものに疎い。
「ただ、誰もが知ってる演劇の塾が舞台で、青春らしきものはある」みたいな感じ。
どうせ今回初めて選考委員に加わった吉田 修一とかが推したんだろ。どうせ。
稽古場と呼ばれる大きな丸太小屋の中にぼくたちはいた。
「君はさっき安藤に質問されてブルースリーとかいってたね」
いった。
「はい」
「何ていった」
「はい」
「え」
え。
「はいじゃなくて、何てこたえた」
「あ、ブルースリー、です」
「そうじゃなくて、何てこたえた」
だからブルースリー。
「誰かおぼえてる?」
一期生たちに【先生】は聞いた。
「はい」
と金田さんが手を挙げた。一期生の金田さんは脚本家志望の田中さんの彼女でとてもしっかりした人で、顔もしっかりしている、俳優志望の人だ。
「ブルースリー」
「そう」
そういったのに。
→この辺りは、先生の言葉が異様な存在感を帯びたシーンだ。
閉じられた社会で、先生が語る言葉がある種の特別な作用をもたらして生徒達に受け容れられている。あたかも宗教家が信者達に何かを語るように。
何せ、特殊カッコ【】内に 先生 である。先生が語りかけ、それが生徒達の世界や現実に多くの作用をもたらすようになるのかも、
と想像してはみたが実際はここだけだった。作者が意識的に書き分けたわけではなさそうだった。
【先生】は怒っているというより、少し、何というか、傷ついていた。
「シャバに」
「え」
「女いんのかよ」
こんな言葉使いするけいこははじめてだ。
「どうなんだよ」
「いるんだろ」
結局わたしらは付き合っていたわけではなかったみたいやし、そう思うとわたしのことあんまり見てなかったり聞いてなかったりしたこともすごくああなるほどって思うし、少しだけ悩みましたが、そういうことになりました。
「わかってんだよ」
話すたびにけいこが吐く息が白く充満する。
けいこは上着を脱いで、セーターを脱いで、下着をはぎ取った。ない胸が見えた。
「ないから何だよ!」
窓はくもって真っ白だ。息がつまる。
「お前も脱げよ」
服を脱いでいられるような音頭じゃない。
「わたしが脱いでんだからお前も脱げよ!」
どこからか猫の鳴くような音がしていた。聞きおぼえのある音だ。これは、喘息だ。喘息の音だ。【谷】へ来てから一度も発作が出ていなかったから忘れていた。
「うわあーーーーーー!!」
と叫びながらけいこが外へ飛び出した。
『ザ・フォール 警視ステラ・ギブソン』
妙齢スカリー(ジリアン・アンダーソン)が警視役。
Xファイル世代にドンピシャな設定だ。
ネトフリで一気見した。
ロンドンからやってきたステラは、現場に居合わせたマッチョでイケメンな男性警官に泊まっている部屋番号を告げる。なにっ!あのスカリーにお色気が??
いちいちXファイルに重ねてしまう。
モルダーは出てこないが。。
ヒルトンを訪れるイケメン警官。
言葉をほとんど交わす間もなく交接するオーソドックスなやつ。
(若いつばめにも手をつける。なんかも昔関係があったらしい..)
二人がやってる間に、女弁護士は殺されてしまう。
魅惑の殺人者、スペクターに。
面白いのは、スペクターはメチャクチャな絞殺殺人鬼なのに、
何も知らない女たちを惹きつけていること。
いい男だからか、女たちはこの男をあまりに警戒しない。
住んでいる場所を明かし、身分証を見せる。
そりゃそうだ。誰も、目の前にいる男が連続殺人犯だとは思わない。
スペクターは、家族と日常を送りながら繰り返し殺しを行う。
妻に優しくし、娘を寝かしつけながら、殺した女の髪の毛で遊ぶ。
操作する側と、犯人の日常が交錯するスリル。
殺人とは違う事件のこじれたもつれで、マッチョ警官が撃たれる。
ステラのお遊びが明るみになる。
果たして火遊びはお遊びなのか?彼女にとって必要なものではなかったのか?
ステラの部屋に忍び込むスペクター。
何も知らずに中年のおっさんが一人、やけぼっくいに火をつけようと「一回やらせてくれ」とお願いして、ステラに殴られたりしているのを一部始終見られちまったか、みたいな喜劇性もある。
そんなことしてるうちに、スペクターはステラの日記を読み解き、言葉を書き置く。
ステラ・ギブソン、君を理解できた。
監察医のリードスミスは何気なく誘ってきたステラに対して、
「できないわ。わたしはあなたとは違う」
(「ステラの性に対するあまりの節操のなさ。しかも両刀という無節操!=トラウマ。父との確執。」もこのドラマの魅力の一つ)
男らしさは、生まれ持った欠陥だわ
酒を見るのと同じ目つきで
人生は選択の総和だ A・カミュ
被害者の病室にカウンセラーとしてやってくるスペクター
冷静緻密にして大胆不敵。これ悪の条件也。
ステラの日記を読んだスペクターは取り調べで、
ステラとその父親との関係について言及する。
薬だけではなくて、窒息プレイをしてセックスを楽しむ男たち
やはりこのドラマの魅力は、ステラの隙、というか危なっかしさだろう。
そしてそんな警視がいつ殺人鬼の標的になってもおかしくないというスリルだろう。
実際に、二人の面と向かっての対決がある。
『ザ・ファイター』
2010年、デヴィッド・0・ラッセル監督。
クリスチャン・ベイル。実話に基づく。
マサチューセッツ州ローウェルのボクサー ミッキー・ウォード。
本作を貫く問いは、「家族は本当にあなたの味方か」かな。
兄のディッキーは街で有名人。誰もが知っている。
かつて、シュガーレイをダウンさせた男という栄光も、短期で怠惰な性格からいまは引退し、過去の栄光にすがりつくジャンキーだ。
兄が落ちぶれ、弟に過度な期待を抱く母親もやがて弟ミッキーにとっては厄介者のような存在になる。
弟のセコンドを務めていた兄だが警官を殴る暴力事件を起こし、刑務所に入る。
弟も巻き添えになり、警官に拳をつぶされる。
兄貴は負け犬だ。俺まで巻き添えにするな。
所属ジムの人間とミッキーの恋人は兄や母の支配から独立するように奨めると、やがて頭角を現す。
「その呼び方やめて。何よMTV女って」
兄は刑務所で自分のドキュメンタリー番組を観る。
「転落したボクサー;ディッキー」
弟は試合中、兄貴のアドバイスを忘れなかった。
兄貴を信じてた。
兄貴なしじゃ無理だ。
俺のヒーローだ。
兄貴は刑務所に入って、健康になって帰って来た。
兄や母と手を切ることを約束していたミッキーだが、兄が刑務所から出て来ると「兄貴を切ることは出来ないみんな大事だ」と言う。
弟は兄貴を切らなかった。家族も切らなかった。
逆に恋人が愛想をつかして、ジムを去ろうとするが追いかけたのは兄だった。
恋人シャーリーン(エイミー・アダムス)と敵対していた兄は家まで訪れ、全てをぶつける。
「あいつはテッペンをとれる。助けてやってくれ。」
エンドロール中にある本物の兄弟映像すごくいい。
実際に仲良しで冗談言い合っていて和む。
『続男はつらいよ』
69年、松竹、山田洋次。
続男はつらいよ。つまり第二話だ。
散々引き止められるが、トンボ帰りでまた旅に出る寅。
(「じゃあ何でわざわざ戻ってくんだ」ってのは野暮って話)
「引き止められるうちが花よ」
「おめえたちには分かるめえが、これが渡世人のつらいところよ」
この映画、現状の基本構造は寅がガキの時分にいじめていたお嬢さんが今日見違えていい女になっちゃって恋をする(つまり、女は寅に親しげで、気軽に接してきてすぐによそに嫁いじゃう)ってもの。
今回の恋のお相手は、寅の中学校とのとき英語の散歩先生(東野英治郎)の娘 佐藤オリエ。
先生の頼みで、天然のウナギを江戸川に釣りに行く。江戸川でウナギなんか釣れるわきゃねーわ!っても釣れるんだなこれが。
誰かのお願いで、江戸川でウナギを釣る。落語にありそうな話筋だけれど、それだけで十分ドラマなわけですよ。
京都にいる情報を嗅ぎ付け母親(ミヤコ蝶々)に会いに行くと、
「ゼニか?ゼニはあかん。親子でも」と言われる。
「俺あ、てめえなんかに産んでもらいたくなかったい」
お葬式の席で、オリエが男(医者の山崎努)に抱きついているのを目撃、恋に破れ、旅に発つ。たぶん京都に。。。
『男はつらいよ(第一話)』
昭和の名作回顧月間。
男はつらいよ第一作目だ!
フーテンやってる寅次郎が、大人になったさくらに会いに来るところから始まるんだ。
わたくし生まれも育ちも葛飾柴又でございます。
帝釈天で産湯を使い、姓を車、名を寅次郎、
人呼んでフーテンの寅と発します。
「なにい?近所の紡績の女工でもやってんのか?」
「とんでもない!さくらはキーパンチャーだぜ?」
「キーパンチャー?」
キーパンチャー?パソコンで情報を入力する仕事らしい。
さくらの見合いに着いていってめちゃくちゃやっちゃう。
尸(しかばね)に水を書いて尿。尸に米と書いて屎(クソ)!
御一統様(一同様)
それじゃあ、ごめんなすって。
寅の恋はというと、相手は御前様(笠智衆)の娘 冬子(光本幸子)。
またもや恋に破れ、旅に出る(京都で見つけられ、柴又に戻る)。