『私の消滅(中村文則/文学界6月号)』
(文藝春秋ではなく、文学界の巻頭。相も変わらず、物語の向かうのは、徹底的に不快な方向性)
父が母を叩く音が続く。母の短い悲鳴。私はドアの前でただ立っていた。銀のドアノブが、暗がりの中でぼんやり光って見える。ドアは、酷く薄く頼りなかった。開ければ、自分の人生が急変するかもしれないドア。
父の暴力はエスカレートしていく。母の抑えた悲鳴も大きくなる。でも不思議なことが起きた。次第に父の息が荒くなり、相撲を取るような床の響きがあり、母の悲鳴が息というか、苦しみながら喜ぶようになる。床の響きは続いている。あれだろう、と思っていた。一度、一瞬だけ見た光景。父が私から母を奪うように覆いかぶさり、しかし母が喜んでいるあの光景。
私は叩いたことの詫びとして、妹を連れて行った。叩いたことなどなかったが、幼い妹の中で事実となり、同じく幼い私の中でも事実でないと思いながら、罪悪感だけ残っていた。罪悪感。確かにあの時の認識はそうだった。
妹は着くと歓声を上げた。その日は遅かったので、ただ見せただけで帰った。しかし夜、私はベッドの中で落ち着かなくなっていた。妹があの崖から落ちる姿がちらついたから。
母は汚れた換気扇の前で、煙草を吸いながらぼんやりするのが増えた。また別の男が来て、母を殴り、母を殴らない男は来る期間が短かった。
そんな時、母は泣いて男を止め、男は止められると母を隣の部屋に引きずっていき、和足の代わりにぶった。時々それは性行為に代わり、母の抑えようとしても漏れる声がふすまの戸から聞こえる。私はそんな時、テレビゲームをした。当時のゲーム機である、ファミリー・コンピュータ。名前とは裏腹に、私しかやらないものだった。
母の口から、アルコールに混ざった肉の煮物の匂いがした。頭が痛くなり、声をやめさせるため、母の体を軽く押した。〜母には元々、大げさに被害態度を取る癖があった。
目の前に、壁にぶつかった被虐的な母がいた。しかし私が目にしたのは、また別のものだった。母が、反射的に一瞬、私を誘うように見たのだった。
宮﨑勤〜。
日本の裁判で初めて「解離性同一性障害」が登場した事件であり、〜この事件を語るには様々な角度があるが、私の興味はこの「ネズミ人間」にあった。そして最も知らなければならないのは、「なぜ基本的におとなしい彼が幼女を殺害することができたのか」という疑問だった。
「ネズミ人間」たちは命令する存在。
外では雨が降っていた。彼女が、短いスカートをはいているのに気づく。いや、もっと前から気づいていただろうか。目を逸らそうとした僕の視線が、彼女の身体の方へ流れた。また視線を顔に戻した時、彼女が微笑んでいるのに気づく。思わず私の身体を見てしまったのですかという風に。私か欲しくなってしまったのですかという風に。
だが高名な精神科医ユングのようにーー彼は多くの患者と肉体関係を持ってしまったーー
(卑劣な性的恐喝者に対して)ETCの乱用をし、完全な記憶喪失になっていた。
もう少しだけシンプルな内面を持つ人間になりたかったという願望。