『ファミリーレス(奥田亜希子)』
朝井リョウだか誰だかが薦めていた若手作家ということで手に取った。
いろんな家族の形、六篇からなる。
物語の進行のために登場人物にわざわざ言われている台詞があったり、無理に小説(風の表現、あるいは文語的紋切りと言おうか)にしようとしている不自然さが気になった。
1.プレパラートの瞬き
グチとか悪口を云わない奴は省かれるゾって実感が私たちにはある。その場の雰囲気に合わせてそこにいない人間の悪口を言わなかったり、それに参加しようとしなければ場では浮き、ときに場を白けさせる。ある種の同調圧力が存在する。
誰かを悪く言うことにはそれに関わってもいいときと、関わりたくないときがある。悪く言われることになる相手との関係性があるからだ。人がひしめきあい集団で社会を営んでいる我々には、グチや悪口がなくなることはない。それらとの付き合い方を個々がどう決めているか、興味深いところだ。
俊二の言葉には質量があった。意味や気持ちがめいいっぱい詰まっていて、つまりは本物だと、そんなふうに思っていた。美味しそうに美味しいと言い、楽しそうに楽しいと言う。それは意外と難しいことだ。
グチが多く、口の悪いシェアメイトの友人に「私」が合わせられるとしたら、誰かを強烈に悪く言いたいとき、言って欲しいとき。
人を悪く言わないように教育を受けてきた希恵は、最も悪く言いたくない相手は家族に他ならない(はずだ)。
#妊娠というもののある種の不可抗力性
2.ウーパールーパーは笑わない
寝取られならぬ、妻と別れ子と話された男の冴えない日常話。
娘にちゃん付け、合う度に何か買ってあげるも娘に(あるいは元妻に言い聞かされて)お金の心配される始末、別れた後もたまに会う時間に遅れる、
僕が愚かであることは、僕が一番知っている。
3.さよならエバーグリーン
中学に上がって冴えない俺。小学校のときはよく喋った東伊織里ともなかなか話す機会がない。
#小学生のときのように、教室中を笑わせることはもうない。
目立つ奴らが伊織里にかまってる。僕は行動を起こせない。冴えない僕なんかにそんな権利はない。
こういうとき、キープレイヤーは家のなかにいる。何を言っているかわからないひいばあちゃんだ。