ここがパンチライン!(本とか映画、そんでときどき新聞の)

いま、物語で大事なのはあらすじではない。そこで語られている言葉とリアリティだっ!!ということで、卑怯で弱い人間を愛したい。人間の野蛮さ、愚劣さから目を背けたりしたくない。おのれ自身の端緒(根っこ)が絶えず更新されてゆくそんな経験をする、そのための記録。大江健三郎と吉田修一と。三島と太宰と。村上春樹と中村文則、小島信夫と舞城王太郎。カズオイシグロにミシェル・ウェルベック。カーヴァーとチャンドラー、ブコウスキーにキューブリック。コッポラにデビット・フィンチャー。ウディ・アレンもケヴィンスペイシーも。談志だって

『レボリューショナリーロード(2008 サム=メンデス)』

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人生にとって、退屈って最大の驚異。

誰もがみんなそんな状態からは逃げたくてしょうがない。

 

さらに、それが夫婦関係であったならば。夫婦それぞれが人生において「退屈。」と感じるようになったならば。

これは、そんな「人間の退屈」という意識と空間に差し込まれる悪夢のような映画かもしれない。

 

 サムメンデス映画のお決まりパターンは、会社を辞めると決めた人間がフッキレて開放感に放たれる状態を撮られていく。アメリカンビューティーもそう。でも大抵その後でしっぺ返しに見舞われるんだけれど。

 

一見、仲睦まじく幸せそうに暮すアメリカの中流階級の夫婦。

思えば、この二人は当時二十代でキラッキラッだったタイタニックコンビの二人だ(気付くの遅過ぎ)。そんじゃこの映画。あの空前のラブストーリーの続編的ムードをまとうのか?と思うと、そうは問屋が下ろさない。

 

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妻エイプリルはかつて女優をめざしていた。

何者かに変われると思っていた。しかしいまは二児の母だ。

いま苛まれているのは「子どもが生まれた者は落ち着いて生きるべきだ」という幻想。幻想をふっ切り、新しい人生を歩むべく、パリ行きを夫に提案する。

 

「人生を真剣に生きる、ってことなら、どんなにイカれてても構わないっ!」

 

 

ご近所さん夫婦の望みを聞き入れ、精神科に通う息子フランクを家に招き入れることに。彼は物語の(主人公夫婦の間の)不穏の預言者そのもの。好き勝手に話すのを許すことになる。

「母さん、みんなの未来を感じ取って黙ったらどうだ」

 

 

 

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 妻が新たに子を身ごもったことと夫の仕事も評価され始めたことをきっかけにパリでの新しい生活を断念せざるを得ないだろう、と夫がそう決めはじめた頃。妻は穏やかでなくなった。

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「いいから、ここでして。ねえ早くっ」って仲良い友だち夫婦のダンナとケイト=ウィンスレット。

 

 

そしてこの映画のもう一つの大きなテーマ。夫婦の意識の距離(あるいは、喧嘩について)。

 夫婦が何かについて話し合うとき、相手に誠実であろうとすればするほど、じっくり向き合い過ぎてしまうことがある。人間の感じることや、漠然とした情緒的な部分って言葉で説明なんてできそうもないことも多い。いちいち、誰かと共有するのがしんどいことだって少なくないだろう。

 例えば、責められてる方は、逃げ場を失くして、頭がおかしくなりそうになることだってある。そういうときは、逃げ場を用意してやることである。

 

 ある朝の夫婦の会話で。 妻は仲良い夫婦の男と、両夫婦で飲んだ帰りの車でやった翌朝。夫はつい最近やった浮気について告白する。

「別にこう何でもかんでも話し合わなくても、何でも受け容れて生きていけるでしょ」

これですよこれ。この映画の本質的な部分。これぞパンチライン。 

 

 

精神科に通う、近所夫婦の息子(フランク)のみが、この状況の本質を突いてくる。

「あんたがそんな調子だから、だんなは子どもを作るくらいしか男を証明するすべがなかったんじゃないか」

と、人の家にまで来てサイテーな一言。 

 

映画至上最悪の夫婦喧嘩。

「この際、ちゃんと云っといてやる!堕ろしてしまえばよかったんだっ!」

 

 

 

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翌朝、世界が変わったかのような”最高の朝食”をとって、その昼、エイプリルは中絶する。かなりのバッドエンド。

 

 前評判や事前情報なく、「タイタニックコンビの映画」ということで、映画館に行ったカップルにとっては卒倒寸前、ハリウッド映画の奥深さというものを感じざるを得ない一作になったことだろう。