『ザ・フォール 警視ステラ・ギブソン』
妙齢スカリー(ジリアン・アンダーソン)が警視役。
Xファイル世代にドンピシャな設定だ。
ネトフリで一気見した。
ロンドンからやってきたステラは、現場に居合わせたマッチョでイケメンな男性警官に泊まっている部屋番号を告げる。なにっ!あのスカリーにお色気が??
いちいちXファイルに重ねてしまう。
モルダーは出てこないが。。
ヒルトンを訪れるイケメン警官。
言葉をほとんど交わす間もなく交接するオーソドックスなやつ。
(若いつばめにも手をつける。なんかも昔関係があったらしい..)
二人がやってる間に、女弁護士は殺されてしまう。
魅惑の殺人者、スペクターに。
面白いのは、スペクターはメチャクチャな絞殺殺人鬼なのに、
何も知らない女たちを惹きつけていること。
いい男だからか、女たちはこの男をあまりに警戒しない。
住んでいる場所を明かし、身分証を見せる。
そりゃそうだ。誰も、目の前にいる男が連続殺人犯だとは思わない。
スペクターは、家族と日常を送りながら繰り返し殺しを行う。
妻に優しくし、娘を寝かしつけながら、殺した女の髪の毛で遊ぶ。
操作する側と、犯人の日常が交錯するスリル。
殺人とは違う事件のこじれたもつれで、マッチョ警官が撃たれる。
ステラのお遊びが明るみになる。
果たして火遊びはお遊びなのか?彼女にとって必要なものではなかったのか?
ステラの部屋に忍び込むスペクター。
何も知らずに中年のおっさんが一人、やけぼっくいに火をつけようと「一回やらせてくれ」とお願いして、ステラに殴られたりしているのを一部始終見られちまったか、みたいな喜劇性もある。
そんなことしてるうちに、スペクターはステラの日記を読み解き、言葉を書き置く。
ステラ・ギブソン、君を理解できた。
監察医のリードスミスは何気なく誘ってきたステラに対して、
「できないわ。わたしはあなたとは違う」
(「ステラの性に対するあまりの節操のなさ。しかも両刀という無節操!=トラウマ。父との確執。」もこのドラマの魅力の一つ)
男らしさは、生まれ持った欠陥だわ
酒を見るのと同じ目つきで
人生は選択の総和だ A・カミュ
被害者の病室にカウンセラーとしてやってくるスペクター
冷静緻密にして大胆不敵。これ悪の条件也。
ステラの日記を読んだスペクターは取り調べで、
ステラとその父親との関係について言及する。
薬だけではなくて、窒息プレイをしてセックスを楽しむ男たち
やはりこのドラマの魅力は、ステラの隙、というか危なっかしさだろう。
そしてそんな警視がいつ殺人鬼の標的になってもおかしくないというスリルだろう。
実際に、二人の面と向かっての対決がある。
『ザ・ファイター』
2010年、デヴィッド・0・ラッセル監督。
クリスチャン・ベイル。実話に基づく。
マサチューセッツ州ローウェルのボクサー ミッキー・ウォード。
本作を貫く問いは、「家族は本当にあなたの味方か」かな。
兄のディッキーは街で有名人。誰もが知っている。
かつて、シュガーレイをダウンさせた男という栄光も、短期で怠惰な性格からいまは引退し、過去の栄光にすがりつくジャンキーだ。
兄が落ちぶれ、弟に過度な期待を抱く母親もやがて弟ミッキーにとっては厄介者のような存在になる。
弟のセコンドを務めていた兄だが警官を殴る暴力事件を起こし、刑務所に入る。
弟も巻き添えになり、警官に拳をつぶされる。
兄貴は負け犬だ。俺まで巻き添えにするな。
所属ジムの人間とミッキーの恋人は兄や母の支配から独立するように奨めると、やがて頭角を現す。
「その呼び方やめて。何よMTV女って」
兄は刑務所で自分のドキュメンタリー番組を観る。
「転落したボクサー;ディッキー」
弟は試合中、兄貴のアドバイスを忘れなかった。
兄貴を信じてた。
兄貴なしじゃ無理だ。
俺のヒーローだ。
兄貴は刑務所に入って、健康になって帰って来た。
兄や母と手を切ることを約束していたミッキーだが、兄が刑務所から出て来ると「兄貴を切ることは出来ないみんな大事だ」と言う。
弟は兄貴を切らなかった。家族も切らなかった。
逆に恋人が愛想をつかして、ジムを去ろうとするが追いかけたのは兄だった。
恋人シャーリーン(エイミー・アダムス)と敵対していた兄は家まで訪れ、全てをぶつける。
「あいつはテッペンをとれる。助けてやってくれ。」
エンドロール中にある本物の兄弟映像すごくいい。
実際に仲良しで冗談言い合っていて和む。
『続男はつらいよ』
69年、松竹、山田洋次。
続男はつらいよ。つまり第二話だ。
散々引き止められるが、トンボ帰りでまた旅に出る寅。
(「じゃあ何でわざわざ戻ってくんだ」ってのは野暮って話)
「引き止められるうちが花よ」
「おめえたちには分かるめえが、これが渡世人のつらいところよ」
この映画、現状の基本構造は寅がガキの時分にいじめていたお嬢さんが今日見違えていい女になっちゃって恋をする(つまり、女は寅に親しげで、気軽に接してきてすぐによそに嫁いじゃう)ってもの。
今回の恋のお相手は、寅の中学校とのとき英語の散歩先生(東野英治郎)の娘 佐藤オリエ。
先生の頼みで、天然のウナギを江戸川に釣りに行く。江戸川でウナギなんか釣れるわきゃねーわ!っても釣れるんだなこれが。
誰かのお願いで、江戸川でウナギを釣る。落語にありそうな話筋だけれど、それだけで十分ドラマなわけですよ。
京都にいる情報を嗅ぎ付け母親(ミヤコ蝶々)に会いに行くと、
「ゼニか?ゼニはあかん。親子でも」と言われる。
「俺あ、てめえなんかに産んでもらいたくなかったい」
お葬式の席で、オリエが男(医者の山崎努)に抱きついているのを目撃、恋に破れ、旅に発つ。たぶん京都に。。。
『男はつらいよ(第一話)』
昭和の名作回顧月間。
男はつらいよ第一作目だ!
フーテンやってる寅次郎が、大人になったさくらに会いに来るところから始まるんだ。
わたくし生まれも育ちも葛飾柴又でございます。
帝釈天で産湯を使い、姓を車、名を寅次郎、
人呼んでフーテンの寅と発します。
「なにい?近所の紡績の女工でもやってんのか?」
「とんでもない!さくらはキーパンチャーだぜ?」
「キーパンチャー?」
キーパンチャー?パソコンで情報を入力する仕事らしい。
さくらの見合いに着いていってめちゃくちゃやっちゃう。
尸(しかばね)に水を書いて尿。尸に米と書いて屎(クソ)!
御一統様(一同様)
それじゃあ、ごめんなすって。
寅の恋はというと、相手は御前様(笠智衆)の娘 冬子(光本幸子)。
またもや恋に破れ、旅に出る(京都で見つけられ、柴又に戻る)。
『まいっちんぐマチコ先生』
81年〜83年。えびはら武史原作。
小生がちょうど生まれた頃のアニメだったのか。。
キャッチーなタイトリングの記憶ばかりあったので、Amazonプライムでタイトルをみかけて一話だけ見てみる。
あちゃ〜、こりゃあPTAも大騒ぎだわ、という描写と精神性。
裸や性的イメージを惜しげもなく振りまく彼女を精神分析してやろうという態度は、あまり大人げないというべきだろうため本稿では割愛する。
オープニングからハイテンションである。
♪わたしはマチーコー イエイ イエイ!♬
イケイケな若い女性マチコが、短いスカートをはいて回転するたびにパンツが見える。
「いやーん 何すんのー エッチー!」
着替えているところを見られるたびに「イヤーん」と少しうれしそう。
受け持つクラスの生徒に「パンツ何枚もってんのー?」って聞かれて、
「そうねー、白が10枚に柄物が12枚、ってイヤねー何言わせんのよー」という教壇でノリツッコミ。
いやだわ〜、まいっちングっ
というのが決めゼリフで、その一話が落ちる。
いやはや、牧歌的な時代だ。
『アナーキズム(浅羽通明)』
1910年 大逆事件
(幸徳秋水ほか24名が天皇暗殺謀議のかどで逮捕、半数が処刑)
1923年 大杉虐殺(甘粕事件)
(戒厳令下の不法弾圧事件。憲兵隊によって伊藤野枝、甥の宗一さも虐殺さる)
「いかに自由主義をふり回したところで、その自由主義そのものが他人の判断から借りたものであれば、その人はあるいはマルクスの、あるいはクロポトキンの思想上の奴隷である」
他の労働運動家の演説会へおしかけ、弥次り倒して自ら縁談へかけ上がり論戦する「演説もらい」
権威が権力であれば、どこでもそれを攪乱し、今ここに無政府の社会をミニチュアであれ出現させて見せるのが大杉のやり方であった
個々人のエゴを肯定し、それぞれの自由な伸長をよしとして弱肉強食の闘いへ陥らず、調和を保っていくという保障があるのか!(近代思想のジレンマ。漱石の悩みもここにあった)
吉本の目線は、夕食の買い物へ赴く生活者の低く等身大のものだ。
大衆の原像を思想の原点として、その大衆の生活水準の高さ、思想的自由さ、技術水準を社会主義よりずっと進んだ「人類の歴史が無意識に生んだ最高の作品」と言い切った高度資本主義社会。
対して、埴谷雄高は、「豊かな者と貧しい者、大企業と零細企業といった差はなくなっていない。アジアアフリカ諸国の絶対的貧困の上に先進国の資本制が栄えている事実を忘れてはいないか」という。
腹のほうから、背のほうをさぐってゆくと、小高くふくれあがった肛門らしいものをさぐりあてた。その手を引きぬいて、指を鼻にかざすと、日本人とすこしも変わらない強い糞臭がした。同糞同臭だと思うと“お手々つなげば世界は一つ”というフランスの詩王ポールフォールの小唄の一節がおもいだされ、可笑しかった。「ねむれ巴里(金子光晴」
司令塔なくして国家権力と拮抗し、これを廃絶へもってゆく闘いなどはたしてできるのか(アナーキズムの最大のなきどころ)
死に縁取られた有限な存在であるからこそ、人間は生を拡充させようとし、また相互扶助が生まれる..。永遠の生命を約束する者はアナーキズムの敵である
「そんな革命が何の役にたつの?」と問う女子大生のツッコミに対して、よい音楽、よい詩、よいセックスへの没入と同じで、それ自体が目的だとしか答えられない。
現代日本において、自由はとっくに魅力ある価値ではなくなっているのだ
安全と豊かさに恋々としている限り、自由を唱える資格などないのである
・規律訓練型権力(学校職場などに刷り込まれる均質な思考、行動、ルール)と環境管理型権力(VNSやウィンドウズなど他の選択肢がなくなるほどに浸透して思考、行動を規定する仕様)
・自分の脳髄によって、自分が働かしているもの
・一人一殺の情念的な超国家主義
・あらゆる権力は自己目的化し、腐敗する
相田みつおだってこれくらいは言う
『パトレイバー the movie2』
1993年。押井守監督。
宇野常寛がポリティカルフィクションしばしば言及する本作。
9条改正議論が取沙汰される今こそ、再び見返されているという。
都心湾岸のベイブリッジが爆破される。
爆撃機に自衛隊が関与か。
米軍基地から失踪したF16機が引き金になり、国内上空のスクランブル騒ぎ。
アメリカのシステムに侵入され、幻の爆撃を演出される。
つまり、システムやシュミレーション上で攻撃対象(敵軍機)が生み出される、
その脅威からの防衛や追撃の点で戦争を引き起こされる状況。
まるで、多くの戦争が自衛の暴走から始まるという事実のメタファーのようなものだ。
「戦争が平和を生むように、
平和が戦争を生む」
「府中の防空司令部は、追撃命令まで出したって言うじゃないか」
「悪い軍隊なんてものはない。悪い指揮官がいるまでだ」
特車二課レイバー隊。
南雲課長代理(しのぶさん)と後藤隊長。
ツゲの息がかかった人間が混ざっている?
元警察内部の人間によるテロリズムだ。
「政治的要求が出ないのは、そんなものはないからだ」
首都を舞台に戦争という時間を演出すること
「この国はもう一度、戦後からやり直すことになりますな」
「なあ、俺がここにいるのは警察官だからだが、あんたなんでツゲの隣にいないんだ」
『ダラスバイヤーズクラブ(2014)』
テキサスはダラス。
ロン・ウッドルーフ(マシュー・マコノヒー)。
掛け金持ってトンズラこいたりする、ロデオ仲間の荒れた生活。
闘牛場の視覚で女を抱く。オカマとか大っ嫌い。
でもHIVポジティブで、余命30日と診断される。
メキシコまで行って、HIVの違法薬物を輸入。
それら(HIV治療薬)を売りさばく会社を設立。
HIV治療薬を扱う個人商社。
テキサスの病院で治験的使用がされていたAZTは毒性が強かった。
それでも生きたいロンは、AZTをオカマのレイヨンから手に入れていた。
彼が各国から密輸して売り捌いていた治療薬はそれよりいささかマシだった。
(日本に出張、渋谷の病院に赴き、インターフェロンを輸入)
FDA(アメリカ食品・医薬局)から目をつけられる。
莫大な利益のために危険性もある新薬を試したい病院と、
違法治療薬を輸入して売りさばくカウボーイ。
途中からどっちが正しいのか、否、間違ってるのかがわからなくなる。
次第に、オカマのレイヨンとの間に友情もめばえて、
オーガニックとか食べるものにも気を遣うようになる。
おめかししてどこに行くのかと思ったら、
主治医のイブとディナー。
なんだか彼女もうれしそうだ。
事務所スタッフに「ウチもお金が」と言われると、
「車を売れ」と返したとき、彼がほんとの慈善家に見えた。
「いつかは重い腰をあげて、仕事しろよ!」
ほんっとメチャクチャだけど、優しい奴だ。
裁判に負けてオフィスに帰ってくると、みんなに拍手で迎えられた。
実話に基づく話。
『見過ごされてきたもの』(2016年11月17日付 朝日新聞)』
社会について語る場面では、真実を口にしていたのはトランプ氏の方でした。
彼は「アメリカはうまくいっていない」と云いました。ほんとうのことです。「米国はもはや世界から尊敬されていない」とも言いました。彼は同盟国がもうついてこなくなっている真実を語ったのです。
クリントン氏は、仏週刊誌シャルリー・エブドでのテロ後に「私はシャルリー」と言っていた人たちを思い出させます。自分の社会は素晴らしくて、並外れた価値観を持っていると言っていた人たちです。それは現実から完全に遊離した信仰告白に過ぎないのです。
トランプ氏選出で米国と世界は現実に戻ったのです。幻想に浸っているより、現実に戻った方が諸問題の対処は容易です。
民主主義という言葉は今日、いささか奇妙です。それにこだわる人はポピュリズムを非難します。でも、その人たちの方が、実は寡頭制の代表者ではないでしょうか。大衆層が自分たちの声を聞かせようとして、ある候補を押し上げる。それをポピュリズムといってすませるわけにはいきません。
人々の不安や意思の表明をポピュリズムというのはもうやめましょう。
自立やフェア(公正)であることを好み、大きな連邦政府による再分配やアンフェア(不公正)を嫌う。思想的、宗教的な深い部分に根ざす感覚です。
『トランプ大統領と世界』イマニュエル・ウォーラーステイン(2016年11月11日付 朝日新聞)』
しかし、世界に目を向けると、トランプ大統領の誕生は決して大きな意味を持ちません。米国のヘゲモニー(覇権)の衰退自体は50年前から進んできた現象ですから、
今の米国は巨大な力を持ってはいても、胸をたたいて騒ぐことしかできなゴリラのような存在なのです。
右にしても左にしても、先鋭的な集団は内側からの批判を恐れ、どんどん極端になっていく危険性があります。